6月頃の立山砂防は、最も活発な時期だと思います。
その年の積雪にもよりますが、水谷まで開通するのはGW前後です。冬季は橋桁なども撤去して冬越しするほどです。この年は、ちょうど輸送が本格化した頃の様でした。
1.回送列車 (天鳥砂防ダム付近:1992年6月)
続いて、立山号が戻ってきました。立山号は先ほど、アルミサッシの人車列車を引いていましたが、人車をどこに置いてきたのか、今度は空トロの回送です。
ちょうどこの場所は、1986年に訪れた時に、断崖にへばり付いて一番列車を撮影した場所ですが、もう断崖ではなくなってしまいました。
1986年の立山砂防軌道の様子は、第181話~第184話をご覧ください。
2.保線列車 (天鳥砂防ダム付近:1992年6月)
再び保線列車が戻ってきました。ここで後続列車を先に通すため退避です。通行列車が多くて保線作業も大変な様です。
3.保線列車 (天鳥砂防ダム付近:1992年6月)
そして、保線列車は中小屋方面に下って行きました。機関車には立山流のハコ乗りをするオジサンの姿が見えます。まだこんな時代でした。
4.戻りの続行列車 (中小屋スイッチバック:1992年6月)
保線列車を追い掛けて、私も中小屋方面に向かいましたが、途中のスイッチバックでは3列車の続行を1枚に撮影できました。いったい、何列車いるのか? 全部で4列車の続行でした。
5.戻りの続行列車 (中小屋スイッチバック:1992年6月)
朝は5列車が続行で登って行きましたが、早々に4列車が戻って来ました。もしかすると終点の水谷へ行ったのは1列車だけの様です。と、言うか、水谷まで開通していたのか?
6.戻りの続行列車 (中小屋スイッチバック:1992年6月)
雨が降って来ました。常願寺川も増水していました。激流になる前に下山が無難です。 戻りの列車は、どうせ回送なら乗せて欲しいところですが、関係者以外は便乗禁止だったので、そういうわけにはいきません。回送列車を見送り、歩いて戻るしかありません。