ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第451話 1988年関東(常総):キハ35乱入!!

1988年の正月に水海道機関区を訪問した際、大量の元国鉄キハ30形、35形を目撃し、いやな予感がしました。それから半年程経った夏のある日に、その後が気になり水海道に向かいました。

 

1.旧型気動車廃車群 (小絹~水海道:1988年6月)

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 その時、小絹~水海道間の車窓から見覚えのある派手な塗装の車両など4両が草むらに留置されているのを発見し、水海道から引き返して撮ったのがこの写真です。

先頭から、キハ754+キハ612+キハ751+キハ753でした。

 

2.キハ754廃車 (小絹~水海道:1988年6月)

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 いよいよ旧型気動車の廃車が始まっていました。

先頭のキハ754は、なんとも形容し難い塗装ですが、これは新塗装の試験だったようで、実際には営業使用はされなかったようです。

しかし、なぜこんな場所に留置してあるのか?水海道機関区は狭いので、留置場所がなかったからですが、水海道からずいぶん離れた場所です。実はこの場所は、後に新しい水海道機関区の移転先となる場所(南水海道信号所)でしたが、この時点ではそのようなことも知らず、一時的な廃車置き場かと思っていました。

 

3.キハ751廃車 (小絹~水海道:1988年6月)

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 これらの廃車のうち、3両が元小田急だったキハ750形でした。

とうとう、元小田急優等列車も最後を迎えました。しかしながら、この車両が通勤車化されて関東鉄道常総線で最後を迎えるとは、だれが想定していたでしょうか。人生いろいろ、車両もいっしょです。まあ、本来ならば小田急でお払い箱となった1968年時点で廃車解体されていたはずの車両ですが、それから20年間も生き延び、新製当初の目的とは全く異なる使い方をされてきましたが、気が付けば小田急に在籍した13年間よりも常総線で働いていた方が長かったことになります。このゲテモノ達の功績をたたえてあげたいです。

 

4.キハ611廃車他 (水海道:1988年6月)

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 さて、この日の水海道はどうかと言うと、こんな状況でした。

手前から連なる旧型車両は、よく見ると解体が始まっている様です。

 

5.元国鉄キハ35系とキハ755他 (水海道:1988年6月)

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 そして、留置線には大量の元国鉄キハ35系が数珠つなぎ状態でした。

横に止まっているキハ755は健在なのか?駅のホームには見慣れぬ新色の車両も・・・。常総線は変わり始めました。

 

6.キハ755の車内 (水海道:1988年6月)

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この写真は、キハ755の車内です。運転室方向を撮影したものですが、まだ健在のようです。ところでこの車両の車内をまともに撮影したのはこれが初めてでした。この車両はご存知の通り、元南海のキハ55形が関東流の通勤車化改造の洗礼を浴びて、4扉化された前代未聞のゲテモノです。しかし、この写真を見ると車両中央にそびえる太い排気管が邪魔で3扉化できなかった裏話が良く理解できますが、元々あった車端の片引きドアは幅が狭く、これを活かすにはやはり4扉にせざるを得なかったようにも思えます。ところで、ダブルエンジンの元小田急だったキハ751~754が廃車となり、同じくダブルエンジンであるこのキハ755の行く末は目に見えていました。 

 

7.キハ300形 (水海道:1988年6月)

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 貴重な旧型気動車を廃車に追い込んだ諸悪の根源が、元国鉄キハ35系の乱入でした。この時、既に何両かのキハ300形、350形が竣工していました。
車庫内には竣工したてのキハ300形がいました。新塗装は、この塗装に決まったようです。とりあえず写真を撮りましたが、あまりにショックだったので車号も控えていませんでした。この頃はまだ前面に車号が標記されていませんが、後に同じ車両が増え過ぎて見分けが付かなくなったのか、行き先表示の下に車号が標記されました。