さて、今回は1988年当時の、新潟交通の軌道線の様子です。
その頃の軌道線は、まだ廃止の噂もありませんでしたが、新潟側の起点である白山前がとても中途半端な場所であったことと、軌道線沿線の住民から相当迷惑がられていたことから、なんとなく先が見えていました。これがもう少し繁華街へ延びていたらバスに対してどれだけ優位に立てただろうか、誠に残念な路線でした。
1.モハ16 (白山前:1988年9月)
古豪モハ16の形式写真です。
白山前駅は中途半端な場所が幸いして、車が来なければ車両の形式写真を撮るのに好都合な場所でした。
2.モハ19 (白山前:1988年8月)
駅前の陸橋も、車両の形式写真を撮るのに絶好のお立ち台でした。この角度から見ると屋根上の配管状態などもよくわかります。
写真のモハ19は、いつのまにか車体広告がなくなっていました。この車両は砲弾型の前照灯が露出した好ましいスタイルでした。
3.モハ2230+モハ2229 (白山前:1988年9月)
この日は休日でしたが、2連のモハ2330形が運用されていました。
休日は単行ばかりの新潟交通も、白山前~白根間は利用客も多く2連が運用されていました。
4.モハ2230+モハ2229 (白山前:1988年9月)
白山前駅は路上にあるので、道路の上に電車が止まっていますが、特にこの小田急電車が止まっている時は異様でした。この電車はカルダン車なので、私の趣味には合いませんがこの光景は無視できませんでした。
5.モハ2230+モハ2229 (東関屋~白山前:1988年9月)
せっかくの小田急電車なので、軌道区間で走行撮影をしました。この当時、福井鉄道などでもスタンダードの電車が路面を走っていましたが、新潟交通の場合は道路が狭く、沿道の建物が接近していたので独特の雰囲気でした。この写真を見ると、沿道の住民が廃止に反対しなかったことにうなずけます。
6.モハ2229+モハ2230 (白山前~東関屋:1988年9月)
この写真は、軌道区間の白山浦付近の陸橋から撮ったものです。
列車の行き先が東関屋行になっていたので、次の駅がいきなり終点ですが、この時間帯に東関屋行の列車は時刻表に表示されておらず、もしかすると東関屋で単行の車両に交代するのかも知れません。
7.モハ18、モハ21、モハ14、キ116 (東関屋:1988年9月)
東関屋に憩う電車達です。真ん中のモハ21の前照灯が、両脇の電車と形状が異なることがわかります。
さて、その後私は横浜方面の仕事を担当することになり、しばらく新潟から遠ざかります。このあと新潟交通の撮影を行ったのは、1991年まで飛びます。その間に白山前~東関屋間の廃止が具体化し、新潟交通電車線の先行きがどんどん怪しくなって行きます。