ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第475話 1993年高松琴平:旧型車依存症候群(その7)

ここからは翌日の日曜日です。まだ暗い早朝から志度線に向かいました。

日曜日は朝のラッシュがないので、長尾線も3連は走らず、よって落ち着いて志度線の撮影ができました。

 

1.31+32 (原~房前:1993年12月)

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 志度線長尾線と異なり、瀬戸内海に面した場所を走り風光明媚でした。この写真は房前にある小さな漁港の、海に突き出した堤防から撮影したものですが、朝もやが掛かって幻想的な写真となりました。

 

2.38+37 (房前~塩屋:1993年12月)

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 そして、ほぼ同じ場所を振り向くとこんな写真が撮れました。ここは志度線の有名な撮影地で、朝のうちが順光です。大変風光明媚なところですが、現在は護岸工事により軌道の海側に護岸壁が出来てしまい、列車が隠れて撮影できなくなりました。写真の左端に写る白いものが護岸壁です。これが右へ延長されてしまいました。非常に残念ですが、安全のためなので仕方ありません。

 

3.31+32 (原~房前:1993年12月)

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 当時の志度線は、この房前あたりと春日川あたりが適当な撮影場所でしたが、現在は、軌道の改良などにより、どちらも撮影が困難になってしまいました。

 

4.32+31 (房前~塩屋:1993年12月)

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 ポストカードにでもしたいワンカットです。ちょうど満潮時だったので、護岸まで潮が上がっており、いい感じに撮れましたが、干潮時は砂浜が現れます。

 

5.21+22 (原~房前:1993年12月)

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この日は日曜日なので、ラッシュ用の雑多な車両は車庫でお休みですが、20形の2連が運用に入っていました。

 

6.21+22 (原~房前:1993年12月)

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 これも幻想的な光景ですが、めちゃくちゃ寒かったです。なにしろ無防備なスーツ姿でした。気温が海水温より下がるとこんな状況になるようです。長尾線では田圃のスーツ姿が異様でしたが、堤防のスーツ姿も異様です。