ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第480話 1988年越後交通(長岡):復活の可能性を探る(その3)

越後交通長岡線廃線探訪は、1975年に廃止された大河津から越後関原間が本命です。

既に第478話で写真10まで廃止後の様子を報告済ですが、この先はパスすることなく全て歩き通しました。非常に長かったですが、幸い廃線跡ははっきり残っており、歩きやすかったので助かりました。また、時期的にも早春で気候が安定しており、廃線跡も雑草に埋もれることなく撮影も支障はありませんでした。やはり、廃線跡探訪は春がベストです。

今回は、大河津分水から町軽井までの廃線跡の様子です。

 

地図4.引用:国土地理院地形図1/25000「寺泊」、「与板」

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地図4は、大河津から町軽井付近の撮影ポイントを示します。廃線跡は地図上では破線で記されている通り、道路化されることもなく線路のまま残存していました。

 

写真11.町軽井側から見た大河津分水駅跡(大河津分水:1988年4月)

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写真11は、大河津駅から1.1km地点の大河津分水駅跡を町軽井側から撮影したものです。手前の門型架線柱の先に道路が横切り、その向こう側に駅がありました。 この辺りは民家が多く、廃線跡は部分的に駐車場として使用されていました。

 

写真12.大河津分水方向を望む廃線跡(町軽井~大河津分水:1988年4月)

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写真12は、矢ツ崎という集落の付近で、廃線跡が道路と並行する区間です。この辺りは閑散とした農村地帯で、小さな集落が点在しますが、駅はありませんでした。 

 

写真13.大河津分水方向を望む廃線跡(町軽井~大河津分水:1988年4月)

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写真13は、写真12の続きで、廃線跡は高低差がほとんどなく、真っすぐな直線でしたが、さすがに廃線跡を歩くより並行する舗装道路を歩きました。 

 

写真14.大河津分水方向を望む廃線跡(町軽井~大河津分水:1988年4月)

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 写真14も延々と直線が続きました。この辺りは架線柱が撤去されていましたが、レールはしっかり残っていました。大河津分水~町軽井間は2.4kmの道程でした。

 

写真15.岩方側から見た町軽井駅跡(町軽井:1988年4月)

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 写真15は、大河津駅から3.5km地点の町軽井駅跡を岩方側から撮影したものです。町軽井は交換駅でした。駅舎はありませんが島式のホームが残っていました。画面右側の木造の建物は、恐らく長岡線現役の頃からあった倉庫と思われます。