ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第481話 1988年越後交通(長岡):復活の可能性を探る(その4)

今回は、町軽井から岩方までの廃線跡です。

以前、第274話~第277話で蒲原鉄道村松~加茂間の廃線跡探訪を報告しましたが、あの時は廃止から3年後で既にレールや架線柱は撤去された後でした。しかし、今回の越後交通長岡線は、廃止から13年も経っていたのに、そのまま放置されていたので、廃線跡を歩いていても張り合いがありました。せめて現役時代を見ていれば、もっと歩き方が違ったでしょうが、それでも十分に満足できました。

 

地図5.引用:国土地理院地形図1/25000「与板」

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 地図5は、町軽井から岩方付近の撮影ポイントを示します。この辺りは廃線跡信濃川の西岸に接近する区間です。

 

写真16.町軽井方向を望む廃線跡(岩方~町軽井:1988年4月)

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写真16は、 信濃川に接近した区間です。写真の右側の車が走る道路は信濃川の土手です。町軽井から岩方までは3.1kmありますが、この駅間はほぼ信濃川の土手沿いでした。廃線跡に残る踏切跡はほとんどがレールはそのままで道路に埋められていました。

 

写真17.町軽井方向を望む廃線跡(岩方~町軽井:1988年4月)

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 写真17の付近から廃線跡信濃川の土手の間に用水路が現れます。変化に乏しいロケーションですが、もし現役時代であれば、この辺で撮影していたと思います。

 

写真18.町軽井方向を望む廃線跡(岩方~町軽井:1988年4月)

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写真18の付近は、廃線跡が用水路に沿っていました。この辺りには鋼製の架線柱が残っていました。レールも雑草に埋もれていますが残っていました。 

 

写真19.町軽井方向を望む廃線跡(岩方~町軽井:1988年4月)

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 写真19は、並行する道路の少し高い場所から廃線跡を俯瞰したものですが、写真の右側は信濃川の土手が続いています。この辺りは民家もほとんどなく、ゆえに駅間が3.1kmもあるわけです。

 

写真20.町軽井方向を望む廃線跡(岩方~町軽井:1988年4月)

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写真20は、もうすぐ岩方といったところです。写真では廃線跡の右側が田圃になっており、すこし土手から離れている様ですが、この先は再び土手が接近してきます。 

 

写真21.与板側から見た岩方駅跡(岩方:1988年4月)

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 写真21は、大河津駅から6.6km地点の岩方駅跡を与板側から撮影したものです。この辺りが信濃川の土手に最も接近した場所です。土手上をダンプカーが走っています。駅跡にはホームが残っていました。ホームの先にある白い建物はポンプ場だったと思います。写真には写っていませんが、この近辺は左側に丘陵が接近しており、猫の額の様な場所に線路が敷設されており民家はほとんどなく、現役時代のこの駅の存在が良くわかりません。