ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第504話 番外編:NDC考察(その5)

次に、この車両をNDCと言えるか微妙ですが、NDCの異端車として位置づけされる、土佐くろしお鉄道TKT-8000形です。

鉄道車両は自動車と違い、納入先の地域性やユーザー要望を重んじる慣習があり、なかなか車種の統一が難しく、せいぜい搭載部品や作り方の標準化が精一杯といったところでしょうか。特にローカル線ともなれば、地域性やユーザー要望が強く、そうした背景から今回ご紹介するような車両が派生することになった様です。まあ、高い買い物なので、家を建てるのと同じ感覚なのでしょうか。

 

1.土佐くろしお鉄道TKT-8000形

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土佐くろしお鉄道は、高知県内に長大な2路線を持つ大手?の第三セクターですが、最初に開業したのは、1988年に元国鉄中村線第三セクター化した路線で、開業に合わせて5両のNDCを導入しました。

2.土佐くろしお鉄道TKT-8000形カタログの抜粋

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ところが、このTKT-8000形は、それまでのNDCとは全く異質の形態となりました。まず、海岸沿いの路線であるため車体がSUS製となりました。一応観光路線なので転換式クロスシートロングシートのチャンポンとなり、観光列車なのか通勤列車なのか、どっちもつかずの車両です。SUS構体の採用は、国鉄が末期に四国に送り込んだキハ54形の影響によるものと思われますが、キハ54形は20m車だったので、あえて新設計を避けるため17m車であった九州向けのキハ31形をベースとし、強引にかつ、安上がりにNDC化した感じです。しかし本来はお金の厳しい赤字転換路線のはずでしたが、遊び心旺盛な偉い人でもいたのか、ただのキハ31形には留まらず、展望車モドキに変身させて登場です。

本来、第三セクター化された路線であれば、おとなしく普通のNDCか、四国ならNDC血統のキハ32形でも導入するのが当たり前とも思われましたが、いろいろとしがらみがあるのでしょう。バブル期の副産物的存在です。

3.土佐くろしお鉄道TKT-8000形カタログの抜粋

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 このTKT-8000形は、外観以外はNDCを基本としていました。よって、エンジンは直噴式6H13AS、台車は2軸空気ばね台車NP-120ですが、クーラーはキハ31形と同じバス用のセパレートタイプで、クーラー用のサブエンジンを搭載したことが他のNDCと異なります。また、トルコンもその後の標準となる、高加速タイプの新潟コンバータ製TACN-22-1100になりました。

ところで、この車両はさすがに土佐くろしお鉄道のオーダーメイドと思っていましたが、意外にもほとんど同型車両(座席配置が一部異なる)が他社にも登場しました。それがお隣の阿佐海岸鉄道のASA-100,200形の2両です。この阿佐海岸鉄道は1992年に新規開業した路線ですが、国鉄が建設を放棄した路線を第三セクターで開業させたいわく有りの路線で、全長は8.5kmたらずの微小路線です。JRからの乗り入れ列車もあり、JRの車両を借用すれば自前の車両を持たなくても良いと思いますが、経営環境が厳しい路線にもかかわらず新車を2両も新調するとは太っ腹な鉄道です。しかし、最近は経営環境が更に悪化し、とうとう気動車を手放して、冗談と思っていたDMVを導入することになったそうです。そこまでして鉄道を残そうと言う信念には頭が下がりますが、5年先、10年先にDMVがBUSになっていないことを祈るばかりです。

 

4.土佐くろしお鉄道TKT-8000形(増備車)カタログの抜粋

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 そして土佐くろしお鉄道では、1997年の路線延長に合わせてTKT-8000形の増備車が2両加わります。すでにバブルな時代はとっくに過ぎていましたが、初期車がバブル期の副産物だったプライドなのか、増備車は当時お約束だったビデオ、カラオケ付きの娯楽列車で登場しました。

 

 5.土佐くろしお鉄道TKT-8000形(増備車)カタログの抜粋

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 ところで、TKT-8000形の増備車は、外観こそ初期車と全く同じでしたが、さすがに初期車の製造から9年も経っていたので、全く同じものが造れず、臓物がマイナーチェンジされました。特に車体構造にも影響したのが冷房装置で、初期車のキハ31形同様のサブエンジンタイプから機関直結タイプとなり、エンジン出力を330PSにアップ。台車もボルスタレスタイプのNP131としました。

結局TKT-8000形は1999年にもお座敷列車に変身可能なロングシートタイプを1両増備し、最終的に8両が導入されました。

 

さて、バブル期にはあちこちでイベント車が導入されましたが、完全なイベント目的で製造されたNDCがありました。それは、1989年に開催された横浜博の会場輸送用に導入されたYES-100形です。この車両は内装を東急車輛が担当した以外はNDCですが、やはりNDCの異端車です。もうこうなって来ると、どうでも良い感じですが、この車両は博覧会の期間だけ運用される目的で製造され、なんとももったいないバブル期の副産物でした。しかし、最初から博覧会後の行き先も内々で決まっていたようで、全車4両が三陸鉄道に移籍(岩手県所有)し、36-500形となりました。

 

6. 横浜博覧会向けイベント車 新潟鐵工車両カタログの抜粋

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こういう車両の悩ましいところは、普通の車両と同じように造れないことでしょうか。普通に造ると安っぽくなり、本腰を入れると工数が掛かり高価になってしまいます。部品だってこだわれば高価になります。安っぽくではなく、高価にならない様に、それっぽく造らねばなりません。一時的なイベントが済んでしまえば、あとは通常の列車として走らねばならず、その妥協点が悩ましい車両です。まあ厳しい予算で精一杯頑張った感じですが、結果的にはNDCの領域でした。ところでこの車両、結構てこずったのが前照灯具とのこと。レトロ調のコンセプトからオヘソライトは欠かせないアイテムなのですが、こんな部品を売っているところがなく、やむなく特注品?!。こう言ったことの積み重ねで儲けになりません。

この車両は、イベント車を持っていなかった三陸鉄道には手頃な車両だったと思われました。しかし、在来車との総括運転が出来なかったことと、使い勝手が悪い片運車であったため、在来車よりも早く廃車となりました。結果的にこの車両もバブル期の副産物でしたが、この車両はレトロ調のイベント車としは先駆け的な存在でした。そして、これ以降もレトロ調の人気は高く、あちこちでレトロ調のご要望が・・・。