ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第509話 番外編:NDC考察(その10)

今回は、当ブログの本題である「ローカル線の回顧録」にも関わりが深い、民営鉄道に導入されたNDCについておさらいです。

 NDCの拡販は、元々が「落穂拾い」でしたが、新規開業の第三セクター化路線も先が見え、なかなか厳しい状況で更なる「落穂拾い」が続きました。そんな中、既存のローカル私鉄から声が掛かりました。

 

1.鹿島鉄道KR-500形

f:id:kk-kiyo:20200429100618j:plain

初の民鉄向けNDCとなったのは、鹿島鉄道のKR-500形でした。当時の鹿島鉄道は、当ブログでもご紹介している通りの、元国鉄機械式気動車の成れの果てや湘南顔の気動車天国でした。近い将来、車両の置き換えが必要になるとは思っていましたが、おそらく旧国鉄の中古気動車だろうと、期待もしていませんでした。ところがバブル期に石岡近辺の宅地開発が後押しとなり、区間運転大増発用にNDCが採用されました。このNDCは、16m級の非貫通タイプですが、前面形状が従来の角ばった平面構成からパノラミックウインドを使ったソフトなR構成に変更され、ドアもバス用を嫌って片引き戸となりました。最初の導入は1989年に2両で、石岡~玉里間の区間運転専属になっていましたが、その後道産子気動車の置き換え用に同型車が増備されて4両となりました。一応在来車との併結運転も可能でしたが、専ら単行のワンマン運転に充当され、私は営業車で併結運転を見たことがありません。なお、この外観デザインは、他路線のNDCには普及せず、鹿島鉄道オリジナルとなりましたが、その鹿島鉄道も廃止となりKR-500形も運命を共にしました。

 

2.島原鉄道キハ2500形

f:id:kk-kiyo:20200429105744j:plain

民鉄向けNDCの第2弾は、鹿島鉄道向けNDCから少し間が空きましたが、島原鉄道にまとまった両数が導入されました。

江若鉄道亡き後、「西の非電化私鉄の雄」となった島原鉄道ですが、島原鉄道と言えば、かつては国鉄に乗り入れて博多や長崎方面に直通する国鉄気動車を自前調達し保有していました。その後は旧型車の置き換えとして、元国鉄のキハ17形やキハ20形の中古車を導入して、国鉄島原線と化していましたが、それも老朽化が進み新車の導入となりました。しかし、島原鉄道は、近隣で増殖する第三セクター向けの16m級NDCではなく、JR九州キハ125形と同型の18m級NDCを選択しました。どうも所帯の大きいJR九州と互換性のある車両の方が無難との堅実なお考えだった様で、島原版キハ125形は、キハ2500形と名乗り、1994年~2000年までの間に15両(最終増備の2両はキハ2250形)も製造されました。 

 

3.水島臨海鉄道MRT-300形

f:id:kk-kiyo:20200429105538j:plain

 NDCは水島臨海鉄道にも導入されました。それまでの水島臨海鉄道は、元国鉄のキハ20形オンリーで長年中古車ばかりの新車に全く縁のない鉄道でした。しかし、地元の議員さんに車両が汚いと言われ、奮起して1995年導入されたのが、21m級超大型NDCのMRT-300形でした。写真を見ても分かるようにデカイです。そもそもNDCはローカル線用に開発された車両で、当初は15m級を標準車として当て込んでいましたが、こんなデカイのが導入されるとは想定外でした。大きさだけ見ると、ダブルエンジンで艤装が20mに収まらなかった国鉄キハ52形と同じサイズです。

MRT-300形は、車体も大柄でエンジンも330PS、台車はボルスタレスタイプのNP129となり、1998年までに6編成導入されましたが、その後は元国鉄キハ20形が冷房化されてはびこり、最近ようやく淘汰されましたが、その代わりの車両はあろうことか、元JR久留里線でお払い箱となった、キハ30形、キハ37形キハ38形!!

ちなみに、水島臨海鉄道第三セクターですが、新規開業ではなく老舗です。コンビナートの貨物輸送に支えられて、いまやローカル線ではありません。路線は高架化が進み、そのうち電化でもされてしまいそうです。

 

4.茨城交通キハ3710形

f:id:kk-kiyo:20200429105622j:plain

茨城交通湊線にも1995年に、いよいよケハ601以来のまともな新車が35年ぶりに投入されました。車両形式は湊線をもじって、キハ3710形。ようやくアメリカン塗装も馴染む車両となりましたが、この車両はJR九州向けのNDCであるキハ125形に続いて製造されたような車両で、キハ125形の色違いと言った感じの車両です。まあ、安くするためには「長いものには巻かれろ」です。 このタイプの気動車が2両導入されましたが、茨城交通は経営難から湊線を分離独立させて、ひたちなか海浜鉄道となります。ひたちなか海浜鉄道になってから、もう1両同型車が新潟トランシスで製造されました。しかしその後は新車に投資ができず、中古車に頼る現在ですが、中古車もNDCのたらい回しとなる時代になり、昨今では元JR東海キハ11形が2両移籍しています。

 

5.津軽鉄道 津軽21形カタログの抜粋

f:id:kk-kiyo:20200429111712j:plain

 

1996年には、青森の津軽鉄道にもNDCである津軽21形が2両導入されました。

ちょうど開業66年を記念しての新車です。寒冷地仕様のNDCは秋田内陸縦貫鉄道のAN-8800形で標準化が図られましたが、すでに8年が経過し、津軽21形ではAN-8800形をベースとし、当時のNDC標準仕様にバージョンアップとなりました。その結果、外観は側窓が固定化され、エンジンは330PS、台車はNP126となり、暖房も強化されました。

 

6.津軽鉄道 津軽21形カタログの抜粋

f:id:kk-kiyo:20200429111804j:plain


津軽21形はその後も増備されて5両の陣容となり現在に至りますが、この車両が下北交通大畑線や弘南鉄道黒石線に展開されないかという淡い期待がありました。しかし現実は厳しく、両線とも新車投入どころか廃止されてしまい、叶わぬ夢となりました。

純粋な民営鉄道へのNDC導入はこれが全てです。気が付けば、第三セクターを除くと非電化私鉄もずいぶん減りました。第三セクター以上に民営鉄道は存続が厳しく、NDCを導入した鹿島鉄道は廃止となり、茨城交通湊線は第三セクター化されました。残された非電化私鉄も「風前の灯」です。 これからは、第3セクター同様に、より安価な次世代NDCが必要です。