ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第512話 番外編:NDC考察(その13)

長々とNDCの変遷をたどってみましたが、なんと番外編が13連載にもなってしまいました。単に「気動車バカ」のぼやきにすぎませんが、ぼやきついでに、今回は「NDC考察」の締めとさせて頂きます。

 

1.軽快気動車華やかなりし頃の16m級NDC

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 今回は、NDCと言うことで、新潟鐵工所が製造した軽快気動車にスポットを当てました。よって、富士重工製のLE-Car、LE-DCそして、新潟トランシスが引き継いだ同種の車両については、勝手ながら割愛させて頂きました。

例によって、ダラダラ書き連ねると、何のことだかわけが分からなくなるので、今まで述べてきたNDCの系譜と導入実績を下記にまとめてみました。

ちなみに、新潟鐵工所は2001年に経営破綻しましたので、NDCの系譜も2001年納入車両までです。

 

2.NDCの系譜 (文字が小さいので適宜、拡大してご覧ください。)

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この系譜は、NDCのサイズを色分けし、NDCの各形式ごとにその初号機が導入された年を年表にまとめたものです。

 

3.NDCの導入実績

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 この導入実績は、ユーザーごとに各NDCの導入数を年表にまとめたものです。なお、系譜と同じ色分けでNDCのサイズを示します。

 

<<考察>>

上記を見ると、NDCが車種的に最もにぎやかで、華やかだったのが1987年~1989年頃で、1980年代で第三セクターへの新規供給はほぼ収束します。その後は車種が16m級貫通タイプと18m級貫通タイプにほぼ絞られ、1992年~1996年頃まではJR向けのNDCが量産となります。そして、1999年頃にはほぼNDCの供給は一巡し、奇遇にもその後に新潟鐵工は終焉を迎えました。(ちなみに新潟鐵工の経営破綻は、鉄道車両事業が直接的な原因ではありません。鉄道車両事業は業績的に決して優良ではなく、晩年は鳴かず飛ばずの状況でしたが、破綻の直接的原因は主力だった石油プラントなどのエンジニアリング事業の行き詰まりにありました。)

そして、この系譜で分かることは、晩年のNDCは18m級の両運貫通タイプに車種が絞られたことです。よく見ると、当初は16m級の車両を導入していた路線も、新潟鐵工晩年の頃の増備車は18m級の両運貫通タイプに変更したケースが散見されます。ちなみにこれ以降の増備車や、次期置き換え用の車両(新潟トランシス製)も、ことごとく18m級の両運貫通タイプになりました。車両を大型化すると言うことは、輸送需要のアップの様にも思えますが、実はそうではない!!

低廉化の矛先が設計、製造の省力化に向けられてしまい、おのずとNDCのラインナップを崩壊させてしまったからです。まあ、需要が減ってきたので、車種を減らすのは当然のことかも知れません。聞こえの良い表現をするなら、「更なる標準化が図られた」と言うことです。

その結果が、現在の軽快気動車にも続いている様ですが、それにも拘わらず、車両価格は高騰の一途。何が問題なのか?。それは人件費のアップと購入品価格のアップ、そして搭載するサービス機器、保安機器の増加が要因です。

新潟鐵工が経営破綻してから、すでに20年経ち、新潟鐵工時代に製造されたNDCも新潟トランシス製の次世代軽快気動車に置き換えが進んでいますが、今気になるのは、更なる市場の縮小です。新たな開業路線が皆無の現状、追い打ちをかける様にローカル線の存続が危ぶまれています。

市場が狭くなると、メーカーはどうしても消極的になります。車両メーカーがいくら頑張っても、機器メーカーがついて来ません。すでに、昨今の軽快気動車はその傾向が強く、新規開発ではなく「昔取った杵柄」で成り立っているような感じです。しかし、輸送需要が減る中、公共交通としてローカル線を残すのであれば、改めて輸送需要に見合った安価な軽快気動車の開発が必要と思われます。

冒頭にも述べましたが、資金面やメンテナンス体制のバックグランドがない限り、ハイブリッドDCや電気式DCではローカル線の存続は困難です。再び先祖帰りした機械式気動車(ただし、変速は自動化)もありではないのか?

これからのローカル線向け気動車には、まだまだ思うことがいっぱいありますが、この場はブログなので、この程度にとどめておきたいと思います。

 

 4.里帰りしたNDC(整備前

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最後に、今から4年程前になりますが、1両のNDCが役目を終えて26年ぶりに生まれ故郷に戻ってきました。

これは「くま川鉄道 KT-102」です。ユーザーさんのご厚意により里帰りが叶ったわけですが、26年の歳月は長く、里帰りしたものの、巣立った新潟鐵工所も大山工場もすでに亡く、新潟トランシスが受け皿になりました。

新潟トランシスはNDCの良しも悪しも熟知した会社であり、この車両の受け入れには最もふさわしい会社です。

その後、この車両は新潟トランシスにて綺麗に整備を受け、展示スペースも確保されて現在も手厚く保存されています。(この車両の展示場所は工場敷地内にあるため、通常は非公開となっていますのでご注意願います)

ところで、この車両が26年間働いていた、「くま川鉄道」は、昨年受けた甚大な水害のため現在不通となっています。この車両の後輩たちも被災し、「くま川鉄道」は前例のない最大の危機に瀕しています。JR九州湯前線から第三セクターとなり、せっかくここまで頑張って来た「くま川鉄道」です。そう簡単になくすわけにはいきません。早期に支援が決まり、運行再開に向けて踏み出せることを願っています。

くま川鉄道 KT-102」はNDC標準車の足跡を後世に伝える貴重な保存車となりました。

さて、これからですが、 かつて、JRも振り向いたNDCの復権は如何に・・・・。