ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第513話 1989年栗原:親会社のパワー

1989年のGWは東北地方のローカル私鉄早回りを行いました。

この撮影旅行の最後は、存続に揺れ動く栗原電鉄の3回目の訪問でした。この時は、前日が南部縦貫鉄道の撮影でした。七戸から一旦青森に戻り、夜行の臨時急行「八甲田84号」で仙台へ向かい、仙台で1時間ほど時間調整して、急行「いわて号」で石越にAM5:58着という相変わらず無謀な行程でした。

 

1.M153 (石越~荒町:1989年5月)

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石越に到着したのは、まだ栗原電鉄の始発前だったので、出庫の回送列車を撮影するため、駅から少し歩いて、以前撮影をした場所へ移動しました。しかし、この日は天気予報では晴れのはずでしたが、朝から霧がひどく、 夜中に途中下車した苦労が報われませんでした。

 

2.M153 (細倉:1989年5月)

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時間が経てば晴れるだろうと、とりあえず終点の細倉まで向かいました。

ところが、細倉は石越以上に霧がひどく、困ったものです。 

 

3.M153の車内 (細倉:1989年5月)

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ここまで来て、何もせずに戻るのはもったいないので、霧が晴れるまで時間つぶしをするしかありません。街をブラブラ歩きましたが、細倉は悲しくなるほど閑散としていました。GWなのに人が居ません。なんと寂しいところになってしまったのか。 

 

4.M153 (細倉:1989年5月)

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 細倉鉱山が閉山し、運ぶものがなくなってしまいましたが、貨物ばかりか、いよいよ人もいなくなってしまったようです。それでも電車は走っています。これは栗原電鉄の親会社である、元細倉鉱山の経営母体だった三菱マテリアルの恩恵、すなわり親会社のパワー以外の何ものでもありませんでした。

 

5.M153 (細倉:1989年5月)

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 細倉駅の背後には大きなハゲ山がありました。これは細倉鉱山から出た残土の山で、いわゆるボタ山です。閉山後もこの残土の山はそのままでした。その後どうなったか知りませんが、異常気象が多い昨今、危なそうです!

 

6.M153 (細倉:1989年5月)

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 乗客は無し。M153は発車時刻になると霧の中に消えて行きました。

そう言えば、前日の南部縦貫鉄道も強烈な霧でしたが、あれはメルヘンチックでした。しかし栗原電鉄の霧は侘しいと言うか、虚しいと言うか・・・。