ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第515話 1989年栗原:親会社のパワー(その3)

栗原電鉄には1988年のGWにも訪問していました。ちょうどこの1年前です。その時の様子は第244話~第250話でお伝えしましたが、1年前は靄で栗駒山系が見えず、今回はそのリベンジでした。しかし、この年も栗駒山系は靄で全く見えずがっかりでした。どうもこの辺りは毎年この時期はこんな感じの様です。

 

1.M151 (松尾~鶯沢:1989年5月)

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この時も鶯沢の田園地帯に出向きました。天気は大変穏やかですが、朝の霧といい、山の靄といい、撮影には非常に厄介です。本来であれば、この写真の背景には雄大栗駒山があるはずですが、昨年のリベンジどころか惨敗です。やはりクリアな山を撮影するには秋から冬がベストです。

 

2.M151 (松尾~鶯沢:1989年5月)

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さて、この頃の栗原電鉄は、乗客も減る一方で、ひたすら合理化を進める臥薪嘗胆が続いていました。 鉱山と縁が切れてしまうと、細倉まで路線を保有する意味もありません。特に栗駒から先は、旅客の需要は極端に少ないようで、わずかな通学輸送のために残っている感じです。

 

3.M151 (松尾~鶯沢:1989年5月)

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この当時、西の鉱山鉄道である片上鉄道も栗原電鉄と同じような状況でしたが、すでに廃止を表明しており存続の可能性を協議中でした。一方、栗原電鉄は細倉マインパークの開業に賭けた様ですが、まだまだ親会社への依存体質だった感じがします。

 

4.M151 (松尾~鶯沢:1989年5月)

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 この年の靄は昨年よりも強烈でした。結局、写真にならないので早々にあきらめて撤収です。

 

5.ED351 (石越:1989年5月)

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 石越には廃車になったED351が放置されていました。一応、譲渡先は決まった様ですが、輸送にお金がかかるのか?

実際に車両の輸送はお金がかかります。制限外通行許可が必要となったり結構大変です。この小型のED351も、運ぶとなれば低床トレーラーに乗せて、搬出、搬入には25tクラスのトラッククレーンが2台は必要です。ざっと見積って300~400万円は掛かります。現在ED351は故郷に近い宇都宮の個人に引き取られて大事に整備されているそうですが、鉄道車両を個人で保存するのは大変なことです。

 

6.M151 (鶯沢~松尾:1989年5月)

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 平成になると栗原電鉄の輸送需要はかなり悲惨な状況になってしまいました。しかし、この頃は国の欠損補助が出ていたので、なんとかなっていたようですが、この補助も1992年に打ち切られてしまいました。その時点で路線廃止が表明されましたが、ここで親会社である三菱マテリアルが最後の奉仕として、8億円を超える累積赤字を肩代わりし、栗原電鉄の第三セクター化に向けてリセットを掛けました。そして、沿線自治体への保有株の無償譲渡と1億円の寄付も。 まさに親会社のパワーです。よって、栗原電鉄は、1994年から第三セクターとなって生き延びますが、1995年には非電化鉄道となりました。この次の訪問は、その非電化になる直前の1995年3月でした。