ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第516話 1990年流山:忘れちゃいません!!

関東地方の常磐線沿線には、常磐線を起点とする多くの私鉄が存在しました。しかし昭和40年代頃から廃止される路線が出始め、ずいぶん減ってしまいました。そんな状況下において、私は茨城県下の私鉄巡りを繰り返し行いましたが、なぜか一番近い総武流山電鉄はいつも通過していました。やはり、筑波鉄道の廃止や、非電化私鉄の旧型気動車の最後を見届けることが最優先だったからと思いますが、流山も忘れちゃいません!!遅ればせながら、1990年に初めて流山を訪問しました。

 

1.クモハ1203+サハ62+クモハ1205 (馬橋:1990年8月)

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しかし、どうしていつも通過していたのか、それは馬橋に快速電車が停車しなかったからではなく、電車の色が原因でした。いまでこそ自社をアピールするコーポレートカラーから解放されて、カラフルなレインボーカラー の電車があちこちに走っていますが、もしかしてそれは流鉄が最初だったのかも知れません。が、当時はリタイヤした西武電車を派手に塗りたくっただけの目立ちたがり屋としか思えませんでした。

 

2.クハ71+クモハ1210 (馬橋:1990年8月)

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ところで、この流鉄は路線長がわずか5.7kmしかない小鉄道ですが、よく頑張っています。もともと軽便鉄道で開業し、電化後もき電変電所を持たず、常磐線から電気を頂戴していた寄生鉄道?でしたが、この撮影の1ヵ月程前にようやく自前の変電所を開設して一人前の鉄道に成れました。

 

3.クモハ1203+サハ62+クモハ1205 (馬橋:1990年8月)

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さて、このカラフルな電車ですが、1990年当時は両運車1両、2連が2編成、3連が4編成と言った陣容でしたが、両運車の1両以外は全て西武鉄道のお古でした。もともと流鉄は 、武蔵野鉄道を前身とするもっと古い西武電車を主力車としていましたが、1979年~1981年に元西武の501系を3連化して導入し、それまでオレンジ色に白い帯だった塗装が、突如豹変してこんなふうになっちゃいました。そして、色とあわせて、編成ごとに愛称を付けて、なんだかペットでも飼っている様でした。

 

4.クモハ1206+サハ63+クモハ1207 (流山:1990年8月)

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 ちなみに、3連の第1編成は当時の標準塗装だったオレンジの「流星」号、第2編成は水色の「流馬」号、第3編成は銀色の「銀河」号、第4編成は黄緑色の「若葉」号でした。

しかし、1編成だけ常磐緩行線のアルミ車もビックリの銀色に塗られた元西武501系には唖然!!模型でも銀色は気合を入れて塗らないとムラだらけとなり、結構難易度の高い塗装です。色の選定は偉い人の「鶴の一声」だったとか?現場も銀色には苦労したとのこと。そして、出来上がりは「銀河」というよりは、「ジャイアントロボ」。

 

5.クハ72+クモハ1211 (流山:1990年8月)

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 3連に続いて、2連も1984年に黄色の「なの花」号、1987年にエンジ色の「あかぎ」号が導入されましたが、この2連は元西武551系となりました。これで、西武流山線になってしまった感じですが、まだ1両だけ京急がいました。