ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第519話 1979年井笠:兵どもが夢の跡

今回は手持ちの古いプリントから"軽便の残像”をご紹介します。

写真はすべて1979年に撮影したものです。プリントが劣化していたので退色が激しく、スキャナーで少々補正しましたが逆に粒子が目立ってしまい、納得できる仕上がりではありませんがご容赦願います。

 

1.ホジ2他 (井笠鉄道鬮場車庫跡:1979年5月)

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 1979年当時私は高校1年でした。広島から各地の地方鉄道を求めて彷徨していた頃です。特に古い気動車には異常なほど興味を持っていたので、近場である山陽路の非電化私鉄を繰り返し訪れて車両の動向を調べていました。そんな矢先に、とっくの昔に廃止となった岡山の井笠鉄道西大寺鉄道の車両が地元に保管されているとの情報が入り、これは放っておけないと現地を目指しました。

 

2.ホハ1、ホワフ1他 (井笠鉄道鬮場車庫跡:1979年5月)

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まずは井笠鉄道です。井笠鉄道山陽本線の笠岡から現在の井原鉄道沿線の矢掛、井原、神辺に通じる比較的距離の長い軽便鉄道でしたが、1971年に廃止となりました。しかし車両のほとんどが保存され、貴重なコッペル製SLの1号機と多くの客車が西武鉄道山口線に転出し、その他の車両も地元を中心に引き取られました。そして井笠鉄道も自前の保存車両を保有し、将来的にちゃんと保存するため、それらを自社の鬮場(くじば)車庫に廃止後も大事に保管していました。それが、廃止8年後の1979年時点において、まだそのままになっていたとは寝耳に水でした。 

 

3.ホジ1 (井笠鉄道鬮場車庫跡:1979年5月)

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 百聞は一見に如かず、行ってみたら時間が止まっていました。

すでに鬮場車庫は廃墟と化し、車両も辛うじてそこにはありましたが、保管と言うよりもはや放置状態でした。まさに "兵どもが夢の跡” とでも言いましょうか、それでも風雨から守られていたので朽ちておらず、その気になれば復活の可能性はおおいにありそうな感じでした。

 

4.ホワフ2 (井笠鉄道鬮場車庫跡:1979年5月)

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 この時確認できたのは、気動車がピンク色のホジ1、ホジ2、ホジ101、そして緑とクリーム色のバケットカーホジ8。客車はホハ1、ホハ8、有蓋貨車のホワフ1~ホワフ4でした。

庫内に詰め込まれていたので、全ての車両を撮影することができませんでしたが、バケットカーのホジ8は窓ガラスにマスキングと思われる新聞紙が貼られており、修復途上の様でした。

 

5.ホハ1 (井笠鉄道鬮場車庫跡:1979年5月)

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 それにしても、これだけの車両がそのまんま残っていたとは奇跡的です。当時井笠鉄道はバス事業者として、社名も井笠鉄道のまま存続しており、いずれはこれらの車両を整備して保存するつもりだった様ですが、世の中はなかなか思う通りにはなりません。

この浮世離れした空間を悲劇が襲いました。

 

6.ホワフ2 (井笠鉄道鬮場車庫跡:1979年5月)

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 なんとこの翌年の1980年2月に鬮場車庫が浮浪者?に放火されて全焼する惨事が起こりました。結局焼け残った車両で復元できたのはホハ1、ホハ8、ホジ101、ホワフ1のみで、修復中だったホジ8はほぼ全焼で解体されてしまいました。

これにはショックでした。しかしながらこの事件をきっかけに、井笠鉄道が動きました。残った車両の保存が一気に進み、井笠鉄道記念館が1981年に落成して、西武山口線から戻ったSL1号機、ホハ1、ホワフ1が保存され、ホジ101とホハ8も地元に保存されました。