ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第520話 1979年井笠、西大寺:兵どもが夢の跡(その2)

井笠鉄道が廃止されてから8年間も放置されていた鬮場車庫は衝撃的でした。

1979年の鬮場訪問では、じっくりと車両を調査することが出来ず、改めて再訪問するつもりでしたが、その翌年の鬮場車庫放火事件で再訪問は叶わぬ夢になってしまいました。

 

1.ホジ9 (笠岡駅跨線橋下:1979年5月)

f:id:kk-kiyo:20190810144415j:plain

 鬮場車庫に保管されていた貴重なバケットカーのホジ8は、残念ながら放火によって全焼してしまいましたが、実は同型のホジ9が、笠岡駅のすぐ近くに保存されており、こちらは災難を免れました。写真はそのホジ9です。保存場所が道路橋の下なので風雨にさらされることもなく、比較的原型を留めていましたが、窓は割られ、部品は盗まれ、車内は故意に破壊され、かなり荒らされており、とても保存とは言えない状況でした。しかしこの車両は細々と整備されながら現在も同じ場所で健在です。やはり風雨にさらされないことが保存の秘訣のようです。

 

2.ホジ8車内 (井笠鉄道鬮場車庫跡:1979年5月)

f:id:kk-kiyo:20190810144332j:plain

この写真は、唯一撮影していた鬮場車庫全焼前のホジ8の車内です。こんなに状態がよかったのに、この翌年に鬮場車庫と共に全焼してしまいました。 

改めて、鬮場車庫の放火事件は残念でなりません。

 

3.ホジ3 (下津井電鉄下津井車庫:1979年8月)

f:id:kk-kiyo:20190810144727j:plain

 さて、井笠の気動車で、もう1両災難を免れた車両がありました。それは廃線区間のレール撤去作業用に、下津井電鉄へ売却されたホジ3でした。

ちなみにこの写真は、1979年8月に初めて下津井を訪問した時に写したものです。すでに廃線撤去は済んでおり、ながらく下津井の車庫で保管されていました。

この車両はエンジンの調子が悪く、下津井に行った後もまともな活躍もせず、ほとんど車庫で寝ていたそうです。しかし、下津井電鉄はそんなよそ者を大切に保管してくれました。ホジ3は下津井電鉄が廃止後も保管を続けて現存しており、井笠の気動車では唯一まともな保存車です。頸城鉄道の保存車復活の事例からすると、この車両も復活できる可能性は十分にあると思われます。

 

4.キハ6 (西大寺鉄道西大寺車庫跡:1979年12月)

f:id:kk-kiyo:20190810144748j:plain

 そして最後は、西大寺鉄道です。この鉄道は赤穂線の開通で店じまいを余儀なくされた軽便でした。廃止は1962年でしたが車両は将来の展示目的で西大寺の車庫跡に保管され続けました。

西大寺の保管車両を知ったのも1978年頃でした。当時の「鉄道ファン」誌にも記事が出ており、貴重な梅鉢鉄工製の単端式2軸気動車も保管されているとのことで、期待して出向きましたが、時すでに遅く、単端式は跡形もなく、バケットカーのキハ6だけが朽ちかけて残っていました。この車両はナローゲージですが、軌間914㎜というレアな存在でした。

 

5.キハ6 (西大寺鉄道西大寺車庫跡:1979年12月)

f:id:kk-kiyo:20190810144804j:plain

 キハ6はすでに屋根が抜け落ち、もうどうにもならない状況で、その後早々に解体処分されてしまいました。結局、車庫跡で保管されていた車両群は、全てスクラップになってしまいましたが、幸いこれとは別に、キハ7が地元で綺麗に整備されて保存されているほか、岡山の池田動物園に客車のハボ1と貨車のワ3が井笠のSL2号機と共に保存されて現存します。

さて、1979年はかつて岡山地区に存在した軽便の残像を垣間見ることができたました。私にとっては趣味の原点である古典気動車の本物に接することが出来た最初で最後でしたが、地方鉄道にとって車両の保存は非常に難しいことを認識しました。少なくとも当時は現在の様にネットで補助金を募ることもできず、一企業の経費だけが頼りだったわけで、そういう時代だったと言うことです。このような実態を見かねて個人で車両を引き取るケースもありましたが、その大半は維持に行き詰まり処分されています。

例外として、個人に引き取られた頸城鉄道の車両が30年もの沈黙を破って再起した事実もありましたが、このようなサプライズを期待したいところです。