ところが、撮影地など全く調べもせずにやって来たので、どこへ行けばよいのかさっぱり分からず、車窓から判断して、新緑が印象的だった美濃津屋で下車しました。
1.ク541+モ441 (駒野~美濃津屋:1992年5月)
養老線の沿線には唯一有名な観光地として、あの「養老の滝」があります。しかし、私は居酒屋チェーンの「養老乃瀧」には何度も行った事がありますが、本物の「養老の滝」には一度も行かずじまいです。いったいどんなところなのかも分かりません。
美濃津屋は、養老の隣駅でしたが、養老~美濃津屋間は開けた場所が少なく撮影に向いていない様なので、養老とは逆方向の美濃津屋~駒野間で撮影することにしました。
2.ク541+モ441 (駒野~美濃津屋:1992年5月)
美濃津屋から駒野方向に歩くと、山林を抜けて田園地帯となります。見晴らしの良い築堤が続きますが、ここも陽の向きが・・・・。しかし、新緑がきれいな時期だったので、とりあえずここで撮影を行いました。
3.ク556+ク545+モ445 (駒野~美濃津屋:1992年5月)
この場所は景色を入れて撮影するには申し分ありませんが、この陽の向きだと桑名寄りのクハ側が順光となるので、ほとんどの列車は440系が先頭になります。しかも午後は正面から陽が射すので側面がつぶれてしまいます。
4.ク556+ク545+モ445 (駒野~美濃津屋:1992年5月)
先程から、440系しか来ないので少し歩いてロケハンです。
ところで、近鉄電車が岐阜の大垣の更に先の揖斐まで走っていたとは、いったいどういうことなのか不思議です。近鉄電車の乗れば車内の路線図にも養老線はしっかり記載されていましたが、難波や上本町発着の電車に乗車する人達に「揖斐」と言ってもピンとこないでしょう。まさか大阪から近鉄電車で岐阜まで行く人はいるのか? 逆に揖斐の人たちも近鉄電車で大阪に行く人はいるのか?
5.ク540形+ク570形+モ420形 (駒野~美濃津屋:1992年5月)
しかし、養老線の歴史は古く、元々は大正初期、大垣を中心に路線を延ばした初代養老鉄道にまで遡ります。その後、養老鉄道は桑名~揖斐間を全線開通させ、社名が二転三転しますが、結局は大近鉄の名古屋サイドの母体となった参宮急行電鉄に引き取られて、その後は自動的に近鉄の一員となってしまいました。
6.ク540形+ク570形+モ420形 (駒野~美濃津屋:1992年5月)
果たして、近鉄は養老線が欲しかったのか?近鉄特急の養老院を見る限り、ここも大手私鉄の隠れ蓑でした。案の定、近鉄も耐え切れなくなって、2007年に現在の2代目養老鉄道に引き継がれます。
7.ク540形+ク570形+モ420形 (駒野~美濃津屋:1992年5月)
さて、初めての養老線撮影は以上です。この年の秋には本線から4ドアの冷房付きカルダン車がやって来ますが、その頃に2度目の訪問を行いました。