ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第537話 1990年黒部峡谷:乗らずに見るだけ(その2)

続いて黒部峡谷鉄道の話題です。

黒部峡谷鉄道は冬季の積雪のため、半年程しか運行されません。冬季は雪害を避けるため、一部の架線や軌道設備も外してしまうほどです。よって、夏場の観光シーズンは1年分を稼ぐためのかき入れ時となり、観光客の大量輸送となりますが、この時期は本来この鉄道の本業である、黒部川電源開発に関わる資材や人材輸送も最盛期となり、かなり列車密度の高い運用となります。

黒部峡谷鉄道は表向き観光鉄道なので、私は正直興味がありませんでしたが、改めて現物を見ると工事軌道の側面が伺え、それらを担う車両に大変魅力を感じました。今回の訪問は予定外でしたが、電気機関車の他に業務用車両についても、実態を確認することができました。

 

1.ハフ7 (宇奈月:1990年5月)

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 この鉄道は電気鉄道ですが、モーターカー以外の全ての列車が機関車牽引でした。興味深いのは、関西電力専用の業務用車両です。業務用車両には小型の好ましい2軸車がありました。古そうな車両は、貨車からの改造車で、2軸無蓋車に屋根を付けたオープンカーもあり、いったい何種類あるのか見当もつきませんでしたが、車庫内にいた車両を一通り撮影しました。

 

2.ハフ5 (宇奈月:1990年5月)

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 2軸のオープンカーは、創業時の2軸貨車からの改造車C形(注1)です。C形は、車掌弁付きのハフ形と車掌弁なしのハ形に分類されますが、いずれも座席は枕木方向3人掛けのベンチシートで18人乗りの同型車です。1986年から更新改造が始まり、更新を受けた車両は側板、妻板が木製から鋼製になりました。写真のハフ5は、1990年当時はまだ未更新だったので、側板、妻板は木製です。以前は一般旅客車にも使用されていましたが、さすがに2軸車では輸送力に乏しく、乗り心地も悪く、業務用にまわされてしまいました。これらの車両は1990年当時何両在籍していたのかよくわかりませんが、文献によると下記の通りです。

(注1)2軸貨車改造のC形(ハ形、ハフ形)の車歴

・黒部ハ12,14,17,22,25←関電ハ12,14,17,22,25←日本送電、日本電力時代は無蓋貨車:1925年汽車会社製

・黒部ハ31,32←関電ハ31,32←日本送電、日本電力時代は無蓋貨車:1926年加藤車輌製

・黒部ハフ3~11,13,15,16,18~21←黒部ハ3~11,13,15,16,18~21←関電ハ3~11,13,15,16,18~21←日本送電、日本電力時代は無蓋貨車:1925年汽車会社製

 なお、いずれの車両も、元無蓋車で、1935年~1966年の間に客車化されましたが、貨車時代の車号や改造時期は手元にデータがなく不明です。

 

3.ハ51 (宇奈月:1990年5月)

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 2軸客車には密閉タイプのK形(注2)が4両在籍しました。このK形は2軸のオープンカーから改造されたもので、車内はロングシートで定員16名です。

(注2)K形(ハ形)の車歴

・黒部ハ51,52←関電ハ51,52:1970年ナニワ工機

・黒部ハ53,54:1974年アルナ工機

いずれも新車名義ですが、元は2軸のオープンカー改造で、さらに前身は2軸の無蓋貨車でした。これも以前の車両が不明です。

 

4.ワ8 (宇奈月:1990年5月)

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 この鋼製の物置の様な車両はワ形(注3)と称する3t積有蓋貨車です。

黒部峡谷鉄道には何と150両もの貨車が在籍していましたが、そのほとんどが無蓋車で、ワ形はたった6両しかありませんでした。そしてなぜかワ形だけが客車と同じオレンジ色でした。

(注3)ワ形の車歴

・黒部ワ5~8←関電ワ5~8:1958年ナニワ工機

・黒部ワ9,10:1982年アルナ工機

 

5.ボハ1042 (宇奈月:1990年5月)

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 そして、一般旅客用のボギー客車ですが、観光シーズンのこの時期は、フル動員のため、ほぼ全車が出払っていました。ちょうど戻ってきたのが、写真のボハ1000形、ボハフ1000形(注4)です。このタイプのオープンカーは、ベンチタイプの腰掛で定員27名の主力車です。1990年時点で49両も在籍しており、通常は7両固定編成ですが、多客時はボハ2000形、ボハフ2000形などの6両固定編成と連結して運転されます。なお、ボハ1000形、ボハフ1000形以外のボギー客車は、密閉タイプで、乗車料金も高く設定されています。この時、密閉タイプの客車は営業中だったので姿が見えませんでした。

(注4)ボハ1000形、ボハフ1000形の車歴

・黒部ボハ1012,1013←黒部ボハ1001,1002←関電ボハ1001,1002:1953年ナニワ工機

・黒部ボハ1014,1015←黒部ボハ1003,1004←関電ボハ1003,1004:1953年ナニワ工機

・黒部ボハ1016←黒部ボハ1005←関電ボハ1005:1954年ナニワ工機

・黒部ボハ1022~1024←黒部ボハ1006~1008←関電ボハ1006~1008:1954年ナニワ工機

・黒部ボハ1025,1026←黒部ボハ1009,1010←関電ボハ1009,1010:1955年ナニワ工機

・黒部ボハ1032~1034←黒部ボハ1016~1018←関電ボハ1016~1018:1957年ナニワ工機

・黒部ボハ1035,1036:1974年アルナ工機

・黒部ボハ1042,1043←黒部ボハ1011,1012←関電ボハ1011,1012:1955年ナニワ工機

・黒部ボハ1044~1046←黒部ボハ1013~1015←関電ボハ1013~1015:1957年ナニワ工機

・黒部ボハ1052~1056←黒部ボハ1019,ボハフ1021~1024←関電ボハ1019,ボハフ1021~1024:1957年ナニワ工機

・黒部ボハ1062~1065:1979年アルナ工機

・黒部ボハ1066:1989年アルナ工機

・黒部ボハ1072~1076:1982年アルナ工機

・黒部ボハフ1011,1017←ボハフ1033,1034:1974年アルナ工機

・黒部ボハフ1021,1027←ボハフ1031,1032:1974年アルナ工機

・黒部ボハフ1031,1037←ボハフ1029,1030:1974年アルナ工機

・黒部ボハフ1041,1047←ボハフ1027,1028:1973年アルナ工機

・黒部ボハフ1051,1057←ボハフ1025,1026:1973年アルナ工機

・黒部ボハフ1061,1067:1979年アルナ工機

・黒部ボハフ1071,1077:1982年アルナ工機

※ボハ1000形、ボハフ1000形は、1979年に車号を通し番号から編成ごとの番号(10の位が編成番号)に改番されました。また1993年には第8編成として7両が増備されます。

 

6.DD23 (宇奈月:1990年5月)

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 黒部峡谷鉄道は電化されていますが、DD形(注5)と称する箱型15tのディーゼル機関車が2両在籍しました。この機関車は営業期間前後の線路機材復旧や撤去作業、除雪作業、黒薙線などの非電化区間運転用に使用されていました。

(注5)DD形の車歴

・黒部DD22:1979年協三工業製

・黒部DD23:1985年協三工業製

※DD23は滑走して転落事故を起こし、2001年に廃車されました。

 

 さて、この日は予定外で立ち寄ったため、時間もなくさらっと車庫内を見るだけでしたが、この2年後にも、やはり雨に降られて仕方なく黒部峡谷鉄道を再訪問しています。その時は、乗らないのはあまりにも失礼と思い、黒薙まで乗車して若干の走行撮影を行いました。その時の様子は改めてお伝えします。