ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第538話 1990年富士急:観光はバス任せ?

1990年4月、久々に富士急行を訪問しました。1986年以来、4年ぶりの訪問となります。この4年間は特に車両の変化もなく、相変わらずモハ5700形が主力で小田急富士急行線のごときでした。しかし、4年前と比べて車両はかなりくたびれている様で、富士山や河口湖、そして富士急ハイランドへの観光輸送はどうなってしまったのか?もはや「観光はバス任せ」と言った感じでした。

実際、私もプライベートで河口湖に行った際は、新宿から高速バスを利用しました。高速バスの方が、早い、安い、快適と3拍子揃っており、どう考えてもバスが有利でした。

 

1.モハ3102+モハ3101 (田野倉:1990年4月)

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 そんなわけで、ローカル輸送に落ちぶれてしまった様でしたが、辛うじて往年のロマンスカーモハ3100形は健在でした。しかし、この車両も34歳となり、日本初の狭軌用WNカルダン車も油が切れて来たようです。しかも非冷房では夏場はネックです。

 

2.モハ3102+モハ3101 (寿~三つ峠:1990年4月)

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 この日は、モハ3100形が運用されていました。そろそろ観光シーズンでしたが、この車両では高速バスに軍配が上がってしまいます。この頃はJRからの乗り入れ車も休日は臨時の快速や急行が乗り入れてきましたが、165系115系なので、新宿から直通するとは言え、乗りたい列車ではありませんでした。鉄道利用はバスの指定が取れなかった人の救済みたいな感じです。

 

3モハ5002+モハ5001 (寿~三つ峠:1990年4月)

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 富士急行唯一の冷房車モハ5000形も走っていました。この車両も結局増備されないままもう15歳でした。(ちなみに現在は46歳です。)鉄道車両の15歳は、まだまだ若い方ですが、JR115系が少し出世した様な車両なので、これを観光列車とは言えません。そう言えば、この電車は「お買い物電車」と言う名目でした。

 

4.モハ3603+モハ3602 (河口湖:1990年4月)

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 河口湖の留置線には、吊掛車のモハ3600形が2両留置されていました。これも4年前からこのままの様子ですが、社線内の貨物牽引用に残っていたそうです。しかし、実態は貨物輸送など全くなく、4年前から寝たきり老人です。

 

5.ト104+ワフ1 (河口湖:1990年4月)

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 これも河口湖の留置線にいた車両ですが、古めかしい木製の無蓋貨車と鋼製の有蓋貨車(注1)です。ト101は開業時からいる古い車両で、元は10両仲間がいましたが、1両だけ残っていました。ワフ1は1979年に南海電鉄から譲受した元南海鉄道の木造有蓋車が前身です。いずれも貨物輸送なきあとは失業状態です。

 

6.ワフ1 (河口湖:1990年4月)

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 貨物輸送もないのに、なぜか有蓋貨車がもう1両いました。この車両はワフ1と同型車です。塗装が錆びてボロボロですが、この有蓋貨車はよく見ると結構不思議な車両です。緩急車を兼ねているので、車端に窓付きの車掌室が付いていますが、反対側の車端はオープンデッキとなっており、貨物室を通行できるようにデッキにドアが付いています。

(注1)ト101形、ワフ1形の車歴

・富士急ト104←富士山麓ト104:1929年新潟鐵工所

・富士急ワフ1←南海電鉄ワブ513←南海鉄道 :1930年田中車輌製

・富士急ワフ2←南海電鉄ワブ517←南海鉄道 :1930年梅鉢鉄工所製