ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第560話 1987年JR北海道:もう一度最果て(その2)

今回の渡道は、標津線の撮影に来たものの、これと言ったあてもなく、この日どこに行くかは、列車に乗って考えることにしました。

 

1.キハ22114 (根室標津:1987年8月)

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 濃霧の中、根室標津では、釧路行きのキハ22114が佇んでいました。

キハ22形といえば、私は茨城交通で元留萌鉄道や元羽幌炭鉱鉄道のキハ22モドキをさんざん見て来ましたが、これが本物です。標津線が廃止されれば、恐らく多くのキハ22形は廃車になるでしょうが、いまさらこの車両を引き取ってくれる鉄道はありません。

 

2.キハ22114 (根室標津:1987年8月)

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 この列車は釧路行ですが、釧路まで乗ってしまうと、何しにここまで来たのかわからなくなるので、標津線内で降りなければなりません。

 

3.キハ22116+キハ22319+キハ27?+キハ27211 (上武佐~中標津:1987年8月)

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 そして、下車したのは2駅先の勝手知ったる上武佐でした。

しかし、上武佐も霧!。はるか霧の彼方からキハ22が接近してきましたが、何か連結している様です。

 

4.キハ27211+キハ27?+キハ22319+キハ22116 (中標津~上武佐:1987年8月)

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 何かと思ったら、定期のキハ22形2連にキハ27形2連の回送を連結した4連でした。キハ27形は後期型の急行色でした。かつては標津線内も急行が運転されていましたが、利用客が減ったためか、標津線から急行は撤退してしまいました。

しかし、この列車の回送は団体客でもあったのか?回送とは言え、急行型が標津線内を走る姿を初めて見ました。

 

5.キハ40132 (上武佐~川北:1987年8月)

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 昼頃になって、ようやく霧は晴れてきましたが、コイツが来ると何か気合が入りません。

 

6.キハ22319+キハ22116 (川北~上武佐:1987年8月)

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 霧が晴れると、ジリジリと蒸し暑くなって来ました。

この時期は変な虫がいっぱい飛んでおり、昆虫たちが短い夏を謳歌していました。8月の下旬になれば、この辺りもカラッと爽やかな天候になります。できれば、天候の良い時期に来たかったのですが、会社の夏季休暇は8月のお盆の時期しか取れず、仕方ありません。