ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第572話 1989年弘南(大鰐):ステンレスカー降臨(その2)

1980年代後半になると大手私鉄がカルダン車を放出するようになりましたが、とうとう東急7000系が地方に出現する時代になりました。東急7000系は18m級のステンレスカーなので、地方私鉄にとっては、ちょうど手頃な車両だったようです。

 

1.キ105、デハ7040+デハ7039 (津軽大沢:1989年5月)

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 まさかここで、東急7000系と旧国鉄ラッセルの並びを撮ることになるとは・・・・。

 東急7000系の地方進出は弘南鉄道大鰐線が最初でした。このあと北陸鉄道石川線水間鉄道福島交通・・・と徐々に勢力を拡大して行きましたが、強みはオールM車だったので、中間車の先頭車化も出現したことです。このような切売りによって、まとまった両数が確保され、一挙に車種統一も可能であったことが地方私鉄には好評だったようです。

 

2.デハ7034+デハ7033 (中央弘前:1989年5月)

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 なお、大鰐線に導入された元東急7000系は、先頭車のみを2連化したもので、大鰐線でもデハ7000形(注1)を名乗り、車番も東急時代と同じ番号を踏襲しました。

(注1)デハ7000形の車歴

・弘南デハ7031+デハ7032←東急デハ7031,デハ7032:1964年東急車輛

・弘南デハ7033+デハ7034←東急デハ7033,デハ7034:1964年東急車輛

・弘南デハ7037+デハ7038←東急デハ7037,デハ7038:1965年東急車輛

・弘南デハ7039+デハ7040←東急デハ7039,デハ7040:1965年東急車輛

 

3.デハ6005+デハ6006 (津軽大沢:1989年5月)

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 ところで、ステンレスカーの導入で不可解だったのが、この元東急6000系です。なぜ7000系に統一できなかったのか?

押し売りにあったのか?それとも、デハ7000系のオマケだったのか?

しかし、この年にデハ6000形は、もう1本譲渡されて、2編成となります。

 

4.クハ1267+モハ3403 (津軽大沢:1989年5月)

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 さて、本題の旧型車の話題に戻ります。

この時は旧型車が何両残存しているのか全く分からず現地に出向きましたが、車庫内には旧型車が2本いました。先に紹介したモハ1122+クハ1612と、このクハ1267+モハ3403です。果たしてこの他にも旧型車は残っているのか?

 

5.クハ1266 (石川:1989年5月)

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 津軽大沢で一通りの留置車両を撮影して雨の中、本線に出ました。

途中、石川の構内にクハ1266を発見しました。なぜこんなところに留置されているのかわかりませんが、結構状態は良さそうでした。

 

6.クハ1266 (石川:1989年5月)

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 クハ1266は、つい先程津軽大沢にいたクハ1267とは全く同じ轍を歩んだ同期の車両です。

 

7.モハ108 (石川:1989年5月)

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 そして大鰐には、モハ108とモハ105がいました。かなり荒廃しており、使用されていない様ですが、前面には「快速」のマークが・・・・。

なぜか、両運車は全車健在でした。ステンレスカーが2連だったので、先にMT2連が淘汰された様ですが、旧国や富士身延の買収国電がいなくなってしまい、東北の旧型車博物館もまもなく終わりです。