ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第576話 1993年野上:あきらめムード

1992年に国からの欠損補助がなくなると、野上電鉄の廃止が決定的になりました。その段階では、1993年3月末に廃止が表明されましたが、地元の反対や、代替輸送の確保が不十分であったことから、廃止が延期となりました。しかし、野上電鉄は廃止を機に廃業するつもりであり、まったく「あきらめムード」でした。よって、廃止はもう時間の問題となり、この年は野上に通い詰めることになりました。

まずは、1993年のGWです。このGWは琴電から始まり、野上、南海貴志川線立山砂防、富山地鉄を早回りする欲張りなツアーとなりましたが、始終天気が悪く、野上も冴えない結果になりました。

 

1.モハ32 (重根~幡川:1993年4月)

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前日の琴電は終日雨でした。その時の様子は第241話~243話をご覧下さい。

前日の夜に高松から海南へ移動し、今後の常宿となる安いビジネス旅館に泊まりました。この日は、早朝から撮影ですが、裏技である野上電鉄バスで重根に向かい、始発電車から撮影開始です。このバスは、野上電鉄と並行する路線バスで、撮影の移動には大変便利でした。特に始発電車の前に出庫する登山口行の始発バスは、乗客もおらず、本来なら回送でも良さそうですが、まるで私のために運行されていたようなバスでした。

 

2.モハ25+モハ24 (重根~幡川:1993年4月)

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 重根にはバッチリ始発前に到着しました。いつもの重根~幡川間で撮影開始ですが、この日も怪しい天気でした。雨は夜間に止みましたが今度は霧です。そして露出が足りません。

 

3.モハ24+モハ25 (幡川~重根:1993年4月)

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 この日は連休の谷間で平日だったので、ラッシュ用に2連が登場しました。最初はアーモンドチョコを連結した2連です。この頃はすでにアーモンドチョコのTVコマーシャルも終了していましたが、アーモンドチョコの広告電車は健在でした。モハ24は、元阪神卵型の生き残りとして、大変貴重な存在でした。早く元の塗装に戻してもらいたいと誰もが思っていたはずです。

 

4.デ11 (幡川~重根:1993年4月)

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 ラッシュ時には珍しく、小型のデ11がやって来ました。やはり小型の単行なので、車内は混雑している様ですが、ラッシュ時はこのくらい混んでいて当然です。

 

5.モハ32 (重根~幡川:1993年4月)

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 明かり窓付きのモハ32が単行でやって来ました。この車両は日中ほとんど走らなくなりましたが、ラッシュ時にはまだ活躍の場がありました。

 

6.クハ104+モハ31 (重根~幡川:1993年4月)

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 かつてはラッシュ時に3連も運行されていましたが、輸送需要は減り続け、この頃は2連しか走らなくなりました。このためクハが余剰となりましたが、この日はクハ104が走っていました。