ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第582話 1991年叡山:他力本願起死回生!!(その2)

バブル期の叡山電鉄は、観光ブームに乗って一時の臥薪嘗胆が嘘のような繁盛ぶりでしたが、そうなると輸送力がネックです。横須賀線VS江ノ電ほどではありませんが、大阪方面からやって来る京阪特急から吐き出される観光客が2連の小型電車に乗り切れるわけがありません。

まあ、名所の多い京都なので、観光客も出町柳である程度は分散されますが、それでも大混雑でした。

 

1.デナ125+デナ126 (二ノ瀬~貴船口:1991年9月)

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今回の叡山電鉄訪問は、デナ21形(注1)がお目当てでした。 

叡山電鉄の車両は、創業時の京都電灯が開業に備えて発注したデナ1形に代表される、京福スタイルが、デナ21形にも踏襲されて長年親しまれていました。固定窓がHゴム支持になったのが残念ですが、その他の窓は上角がRとなっており、楕円形の車号銘板など、大正時代の優雅なスタイルです。

 

2.デナ125+デナ126 (貴船口~鞍馬:1991年9月)

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 (注1)デナ21形の車歴

・叡山デナ21,22←京福デナ21,22←京都電灯デナ21,22:1929年日本車輌

・叡山デナ122,124←京福デナ122,124←鞍馬デナ122,124:1929年日本車輌

・叡山デナ125,126←京福デナ125,126←鞍馬デナ125,126:1929年日本車輌

 

3.デオ801+デオ802 (二ノ瀬~貴船口:1991年9月)

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 さて、こんな2連を撮っていました。この類の車両には興味が無かったので、なぜ撮ったのか記憶にありませんが、当時この車両は最新車両だっのでとりあえず撮ったと思います。一応新製車ですが、電気品は京阪京津線500形の中古品を流用したものです。叡山線用の2連固定編成で冷房車です。その後、同型車が増えますが、デオ900形(キララ)が導入される1997年までに、旧来の車両は一掃されて、このタイプの2連が5編成となります。

 

4.デナ21+デナ22 (修学院:1991年9月)

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 修学院車庫にも寄りました。デナ21形の残り2編成がいました。デナ21形は叡山線の前身である京都電灯が発注したデナ21~24と、同じく鞍馬線の前身である鞍馬電鉄が発注したデナ121~126をまとめて同一形式としたものです。製造時期も仕様、形態もほとんど同じですが、1991年時点でデナ21,22,121,122,124~126の6両が健在でした。

 

5.デナ122 (修学院:1991年9月)

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 デナ21形は元々非貫通の両運車ですが、1978年に2連運転のために貫通化改造が行われ、偶数車は出町柳側、奇数車は鞍馬側が貫通化されましたが、このデナ122だけは両側とも貫通化されました。しかし、この車両はやはり非貫通(Hゴム無し)が一番似合います。

 

6.デト1001 (修学院:1991年9月)

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 修学院車庫には立派なゲテモノ電動貨車がいました。これは京都市電の機器を流用して1974年に武庫川車輌で製造されましたが、貨物輸送があるわけでもなく、専ら保線用です。

同型車が京福嵐山線にもいました。嵐山線の方はモト1001と称し、こちらはデト1001です。

さて、さらっと1991年当時の叡山電鉄の様子をお伝えしましたが、旧型で最後まで残ったデナ21+デナ22は1995年に廃車となり、その後は私にとって全く魅力のない路線になってしまいました。その後も鞍馬には何度か観光で行きましたが、もう電車を撮影する気にもならず、この1991年の訪問がローカル線巡りとして実質最後の叡山電鉄訪問になりました。