ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第588話 1992年伊予:12年ぶりの古町

四国と言えば、1990年代には異常なほど琴電通いをしましたが、なぜかお隣の伊予鉄道には1度しか出向いていません。

高松は岡山から1時間ですが、松山は特急でも3時間近くかかります。やはり、高松に比べ松山は地理的な遠さを感じていたことが理由です。

 今回は、12年ぶりとなった1992年年末の伊予鉄道の話題です。

 

1.モハ826、クハ765+モハ715 (古町:1992年12月)

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 12年ぶりの古町車庫には、相変わらず関東大手私鉄の中古車がひしめいていました。しかし、12年前と決定的に違うのは、京王電鉄伊予線のごときになっていたことです。

12年前の様子は、第164話をご覧下さい。

 

2.クハ765+モハ715 (古町:1992年12月)

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 どこを見ても京王の電車ばかり!! いつの間にか京王5000系がこんなに住み着いていたとは思いませんでした。

  しかし、私は京王5000系が大好きで、このオレンジ塗装も悪くはありません。その後京王5000系はあちこちに身売りされますが、塗装がしっくりしていたのは、伊予鉄くらいではないかと思います。

 

3.クハ766+モハ716 (古町:1992年12月)

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さて、この元京王5000系ですが、正確には吊掛車の5100系とカルダン車の5000系を1987年~1994年までの間に28両譲受して、伊予鉄700系(注1)としたものです。 

(注1)700系(モハ710形、モハ720形、クハ760形)の車歴

①モハ710形

・伊予モハ710←京王クハ5701:1963年東急車輛

・伊予モハ711~713←京王デハ5101~5103:1963年日本車輌

・伊予モハ714←京王デハ5708:1966年日本車輌製 

・伊予モハ715,716←京王デハ5707,5709:1965年日本車輌製 

・伊予モハ717~719←京王デハ5110,5712,5111:1966年日本車輌

②モハ720形

・伊予モハ720←京王デハ5702:1965年東急車輛製 

・伊予モハ721~723←京王デハ5106,5104,5105:1963年日本車輌製 

・伊予モハ724←京王クハ5703:1963年東急車輛

・伊予モハ725←京王クハ5704:1964年日本車輌

・伊予モハ726←京王クハ5710:1966年日本車輌

・伊予モハ727←京王デハ5714:1967年日本車輌

③クハ760形

・伊予クハ760←京王クハ5754:1964年日本車輌

・伊予クハ761~763←京王クハ5851,5852,5854:1963年日本車輌

・伊予クハ764←京王クハ5858:1966年日本車輌

・伊予クハ765,766←京王クハ5857,5859:1965年日本車輌

・伊予クハ767~769←京王クハ5860,5862,5861:1966年日本車輌

 

4.クハ768+モハ718 (古町:1992年12月)

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 <700系の編成>

←横河原・松山市:クハ760形+モハ710形+モハ720形:郡中・高浜→

(3連)760+710+720 ~ 767+717+727

(2連)768+718、769+719

 

5.モハ823+サハ853+モハ813 (古町:1992年12月)

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 800系(注2)は、元京王2010系で700形よりも早い1984年~1985年に3連18両が導入されました。

(注2)800形(モハ810形、モハ820形、クハ850形)の車歴

①モハ810形

・伊予モハ811←京王デハ2022:1962年東急車輛

・伊予モハ812←京王デハ2072:1962年日立製作所

・伊予モハ813←京王デハ2021:1962年日本車輌

・伊予モハ814←京王デハ2023:1962年日立製作所

・伊予モハ815←京王デハ2018:1961年日本車輌

・伊予モハ816←京王デハ2019:1962年日立製作所

②モハ820形

・伊予モハ821←京王デハ2025:1962年東急車輛

・伊予モハ822~825←京王デハ2070,2069,2073,2074:1962年日本車輌

・伊予モハ826←京王デハ2076:1962年日立製作所

③サハ850形

・伊予サハ851~853,856←京王サハ2525,2575,2576,2526:1962年日本車輌

・伊予サハ854,855←京王サハ2573,2524:1962年東急車輛

 <800系の編成>

←横河原・松山市:モハ820形+サハ850形+モハ810形:郡中・高浜→

(3連)821+851+811 ~ 826+856+816

800系は1993年から運用の見直しで、サハ850形は郡中・高浜側妻面を京王5000形モドキの貫通型とし、クハ850形に改造されました。すでにこれらの車両は伊予鉄には存在しませんが、2連2編成が銚子電鉄に移籍して現存します。

 

6.モハ601+モハ602+モハ603 (古町:1992年12月)

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 さて、伊予鉄京王電鉄の中古車ばかりではありますが、それ以外の旧来の車両も少数ですが残存していました。

例えば、自社発注のモハ600形と元長野電鉄の混成3連(注3)、自社発注のモハ300形とサハ500形の混成3連(注4)、元西武の川造タイプ3連がそれぞれ1編成、まだ在籍していました。

モハ601+モハ602は1編成しか製造されなかった2連の自社発注車でしたが、1980年に3連化にあたり、モハ602を中間車化しました。そして新たに元長野電鉄モハ1102を譲受後片運化して郡中・高浜寄りに連結し、これをモハ603としました。増結したモハ603は車体断面が異なり、両引きの2ドア車なので、この編成は凸凹編成です。

 (注3)モハ600形の車歴

・伊予モハ601+602:1928年ナニワ工機

・伊予モハ603←長野モハ1102:1925年日本車輌

 <600形の編成>

←横河原・松山市:モハ601+モハ602+モハ603:郡中・高浜→

  

7.モハ303+サハ502+モハ304 (古町:1992年12月)

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モハ300形は郡中線開業時に増備された2連で、当初は14m車であったものを1961年に車体延長して18m車化しています。その後1971年に中間車にサハ500形を挟み3連化されました。車体はウインドシル・ヘッダー付きの古めかしいスタイルですが、モハ303、304は、1977年にカルダン化されました。一方サハ502は、文献によると東急サハ3352か3354が種車だそうですが、どちらなのか不明とのことです。東急サハ3350形は元を辿れば大正時代の木造国電で、車歴的に非常に厄介な車両ですが、サハ502はそんな経緯を知る由もなく1971年製造の新車として、モハ300形の中間車にはまり込み、晩年はエアサス台車を履いていました。

 (注4)モハ300形、サハ500形の車歴

 ・伊予モハ301,302←伊予モハ301+302:1950年日立製作所

・伊予サハ502:1971年西武所沢製(東急サハ3352or3354流用)

 <モハ300形、サハ500形の編成>

←横河原・松山市:モハ303+サハ502+モハ304:郡中・高浜→

 

この日は、最長老である元西武の川造タイプが車庫にいませんでした。なんと最長老が本線に出ていました。その本線走行の様子は、別途お伝えします。