ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第590話 1992年伊予:12年ぶりの古町(その3)

古町車庫は路面電車の車庫でもありました。

この頃の伊予鉄市内線は、12年前からほとんど時間が止まっていました。新車の導入もまだありません。

 

1.モハ1001、モハ65 (古町:1992年12月)

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 市内線の車両は、12年前と唯一違っていたのが冷房化されたことです。まあ1992年ともなれば冷房車も当たり前になった頃ですが、本線の電車にはまだ非冷房車がいました。

 

2.モハ61、モハ65 (古町:1992年12月)

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 市内線電車に変化がなかった理由は、古い車両がいなかったからです。在籍車両はモハ50形が31両、モハ2000形が5両でしたが、モハ50形はスタイルや製造年が異なる寄せ集め形式で他社からの転入車も含まれ、車号も自社発注車の51~78(注1)までは連番ですが、元呉市電の転籍車は1001~1003(注2)、廃車となった元南海和歌山軌道線の転籍車は81です。ちなみにモハ2000形は元京都市電の転籍車で2002~2006(注3)です。

 

3.モハ61 (古町:1992年12月)

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モハ50形は市内線の小型2軸車を淘汰するために1951年から導入されたボギー車です。当初はドア配置が前後2カ所でしたが、増備車のモハ56以降に合わせて前中2カ所に変更されました。初期タイプはモハ58まで製造されましたが、その後の増備車はスタイルを一新して、全金製車体となりましたが、形式はモハ50形を踏襲して連番となります。

新タイプのモハ59以降は、モハ62~69が軽量構造車体となり、側構体が「くの字」に折れた断面となり、外板に3本のリブが入りました。モハ69まではナニワ工機製でしたが、モハ70~78までは帝国車輌製となり、車体は軽量構造でななく、元に戻ってしまいました。

(注1)モハ50形自社発注車の車歴

①初期タイプ半鋼製車モハ51~58

・伊予モハ51~53:1951年ナニワ工機

・伊予モハ54,55:1953年ナニワ工機

・伊予モハ56~58:1954年ナニワ工機

②新タイプ全金製車モハ59~78

・伊予モハ59~61:1957年ナニワ工機

・伊予モハ62~64:1960年ナニワ工機

・伊予モハ65~69:1962年ナニワ工機

・伊予モハ70~73:1963年帝国車輌製

・伊予モハ74~76:1964年帝国車輌機製

・伊予モハ77~78:1965年帝国車輌機製

 

4.モハ63 (古町:1992年12月)

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モハ50形のモハ1001~1003は元呉市電です。スタイルは伊予鉄自社発注車のモハ50形モハ62~69 と瓜二つで、側外板に3本のリブがある軽量構造車体ですが、自社発注車よりも更に1tも軽い車両でした。

モハ50形は2000年より、先に呉グループから廃車が始まりましたが、2004年廃車のモハ1001は呉に戻って保存されました。

 (注2)モハ50形移籍車の車歴

・伊予モハ1001~1003←呉市交モハ1001~1001:1959年ナニワ工機

 

 

5.モハ2002 (古町:1992年12月)

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モハ2000形は、元京都市電です。なぜかこの車両はモハ50形に統合されませんでした。

車号も京都時代と同じで、2001がいないのは地元で保存されたためです。ほとんど京都時代のままですが、前面の行き先表示の1段化と前照灯のオデコ1灯化がされました。

 (注3)モハ2000形の車歴

・伊予モハ2002←京都市交モハ2002:1964年ナニワ工機

・伊予モハ2003~2006←京都市交モハ2003~2006:1965年ナニワ工機

 

6.モハ81廃車 (古町:1992年12月)

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 これといった変化がない市内線ですが、唯一廃車がありました。

それは、元南海和歌山軌道線から移籍してきたモハ81が、1987年に廃車となり、なぜか1992年時点車庫内に保管されていました。この車両もモハ50形に所属していましたが、移籍時からずっと独りぼっちの異端車だったので、廃車が早かったものと思われます。

伊予鉄の市内線は、その後も廃車はあったものの増備車はなく、2002年にようやく超低床車のモハ2100形が導入されますが、2001年にはレプリカの坊っちゃん列車を導入しました。これは観光用で機関車もクラウス製のSLモドキですが、残念なディーゼル機関車です。

さて、私にとっては12年ぶりとなる、1992年の伊予鉄古町車庫の様子をお伝えしましたが、車庫にいなかった元西武の川造タイプであるモハ110形を追って、このあと本線撮影に出向きました。その時の様子は改めてお伝え致します。