ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第591話 1991年新潟交通:五月晴れの越後平野

1991年5月に、3年ぶりとなる新潟交通を訪問しました。

3年ぶりとはずいぶん間が空いてしまいましたが、この間は新潟出張がほとんど平日の日帰りだったので、撮影のチャンスがありませんでした。しかしこの日は、わざわざ夜行の高速バスを利用して東京から撮影に出向きました。理由は、この時期の越後平野が素晴らしい光景であることを、いつも上越新幹線の車中から眺めており、一度は撮影しておきたかったことと、新潟交通が月潟~燕間の廃止を表明したからです。

もうこれが最後のチャンスになるかも知れないので、この時も学生時代のバイト先で知合ったローカル線同好の友人と出向きました。

 

1.クハ47+モハ14 (燕:1991年5月)

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 この日はGW後でしたが、夜行の高速バスは安いので結構混んでいました。偶然会社の同輩が同じバスに乗っており、新潟交通の電車を見に行くと言ったら、あんなボロ電車を見に行って何が楽しいのかと、あきれられました。ちなみにその同輩は新潟の黒崎の実家に行くそうで、新潟交通の電車にも乗るようなことを言っていました。

ところで我々は高速バスを三条燕で下車です。三条燕のバス停は燕三条駅のすぐ近くで、燕三条から弥彦線の始発で燕を目指しました。

 

2.クハ49+クハ50 (燕:1991年5月)

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 燕には、新潟交通の白山前行電車がスタンバイしていました。この日は土曜日でしたが3連は走らないようでした。燕構内の留置車両を撮影し、いつもの灰方の撮影ポイントまでダッシュです。

 

3.モハ14+クハ47 (灰方~燕:1991年5月)

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 間に合いました。

この日は、少し風が吹いていたので、水面は鏡の様にはなりませんでしたが、まずは期待通りの光景です。

 

4.モハ14+クハ47 (灰方~燕:1991年5月)

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3連を撮りたかったので、2連では物足りませんが、新潟交通も徐々に乗客が減っており、 この頃はすでに土曜日の3連がなくなっていた様です。この年には、白山前~東関屋間の軌道線が廃止となり、やがて1993年には月潟~燕間も廃止されて、この雄大な景色で新潟交通の電車を撮影することが出来なくなります。

 

5.モハ18 (灰方~燕:1991年5月)

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 燕行の単行が来ました。この列車は折返し2連になるはずです。

しかしながら、白根あたりを走る新潟交通の電車は、中ノ口川の土手沿いを窮屈そうに走っていましたが、ここまで来るとノビノビと走っていました。

 

6.モハ18+クハ45 (灰方~燕:1991年5月)

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 そして予想通り戻ってきた2連は、クハ45が連結されていました。

それにしても、こんな光景をいつまで見ることができるのか? と言ったところでしたが、月潟~燕間は2年後の1993年7月末で廃止となりました。