ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第598話 1994年高松琴平:琴平線と向き合う(その4)

琴平行の電車は、羽間で峠を越えて琴平の街に入って行きます。琴平にはJR土讃線も走っていますが、JRは瀬戸内海沿いの坂出、多度津を経由するので、高松から普通列車で琴平へ行くには琴電の方が少し速いです。

 

1.1070形2連 (羽間~榎井:1994年3月)

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 羽間駅は、峠の頂上付近の大きな溜池の脇にあります。高松から琴平に向かう高松街道が並行しており、勾配区間では併走する自動車と競争になりますが、琴電は結構俊足です。

 

2.1080形2連 (羽間~岡田:1994年3月)

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 俯瞰撮影を行った高台から降りて、今度は線路脇から勾配区間の撮影です。この近辺は片持ちの架線柱が線路の反対側に立っているので長い列車でもスッキリした写真が取れますが、4連は全く現れません。

 

3.1080形2連 (羽間~岡田:1994年3月)

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 線路は間近で見ても結構な勾配です。羽間~岡田間は琴電の路線で一番の勾配区間で、最急25‰の勾配が連続しますが、元京急の車両にとっては余裕のようです。

 

4.1091+1092 (榎井~羽間:1994年3月)

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 羽間の峠を越えると、いよいよ琴平へラストスパートです。元京急電車が軽快に飛ばして行きました。

 

5.1075+1076 (榎井~羽間:1994年3月)

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 榎井~羽間間には土器川橋梁があります。この橋を渡ると琴平の市街地に入ります。この先は住宅街に入るので、再び高松方面に戻ります。

 

6.1051+1052 (羽床~栗熊:1994年3月)

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 今度は、少し戻って先程通過した羽床~栗熊間で撮影です。また、ジェットカー試作車の登場です。この日は、元名鉄や元三岐の車両は現れませんでした。恐らく、一宮折返しの運用に入っている可能性はありましたが、そこまで戻るのは面倒なので、このままこの近辺で撮影を続けました。

 

7.1051+1052 (羽床~栗熊:1994年3月)

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 ここも穏やかな田園地帯です。 琴平線は琴平電鉄によって開業した路線ですが、こんな田舎を走っている理由は、かつて四国の玄関だった高松から琴平への短絡ルートとして国鉄土讃線に対向するためでした。土讃線が非電化の頃は琴電が絶対的に優位でしたが、瀬戸大橋線開業のあおりで、土讃線も琴平まで電化され、高松から電車による高速化と都市型ダイヤにより、この頃の琴電は必ずしも優位ではない感じでした。しかし、この頃の琴平線は金毘羅山参拝輸送よりも高松近郊の通勤通学輸送に重点を置いている様にも思えました。