ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第602話 1990年銚子:救世主?現る

1990年4月のある日、鹿島鉄道訪問後のついでに銚子へ向かいました。思えばこの前年にも鹿島鉄道から銚子に移動しましたが、その時は車でした。しかし今回は新鉾田から鹿島臨海鉄道、JRを乗り継いで銚子に向かいました。鹿島鉄道の鉾田から鹿島臨海鉄道の新鉾田は意外と離れていました。新鉾田から乗った鹿島臨海鉄道は快適で、あっという間に鹿島神宮に着きましたが、そこから先のJRは香取乗り換えで時間が掛かり、銚子に到着したのは夕方でした。しかも天気は下り坂で、やはり「ついで」の訪問が良くなかった様です。

 

1.デハ702+デハ701 (君ヶ浜~西海鹿島:1990年4月)

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銚子に着いて早々ですが、2連が運行されていたので、まずは本線撮影に向かいました。本線撮影は毎度ワンパターンですが、西海鹿島~君ヶ浜間のキャベツ畑です。前年もそうでしたが、とにかく銚子は天気に恵まれません。

 

2.デハ301+デハ801 (西海鹿島~君ヶ浜:1990年4月)

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 続いてデハ301とデハ801の大型車コンビがやってきました。デハ301はまだパンタ化されておらず、路面電車の様なビューゲルを付けていました。しかし、この天気では気合が入りません。

 

3.デハ801+デハ301 (君ヶ浜~西海鹿島:1990年4月)

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 結局、天気が悪いのでこの日はこれで撤収です。この後、仲の町の車庫に向かいました。

 

4.デハ501、デキ3他 (仲の町:1990年4月)

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 今回の銚子電鉄訪問には理由がありました。それは、この年の1月に銚子電鉄の経営母体が千葉県のゼネコンに移り、なにやら銚子電鉄が観光化されるとの噂が流れたからです。

銚子電鉄にしてみれば、正に " 救世主現る ” です。全くバブルの恩恵以外の何ものでもありませんでした。

 

5.デハ501、デキ3他 (仲の町:1990年4月)

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この時点では観光化の具体的な内容はまだわかりませんでしたが、もしかすると古い車両が一掃される恐れも考えられました。しかし、現地に出向いたところ何も変わっておらず、まずは一安心です。

 

 

6.デハ301 (仲の町:1990年4月)

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 先ほど本線を走っていたデハ301が入庫していました。本線撮影を撤収して正解でした。

 

7.デハ701、デハ702 (仲の町:1990年4月)

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 仲の町駅では、2連だったデハ700形も1両切り離されて入庫です。

ところで、デハ700形の塗装の退色はひどい状況です。まさかこの状態で観光化されたと言うことか?

 

その後、銚子電鉄はゼネコンパワーで、駅舎などの設備面から着々と観光化が図られて行きます。そして1994年に元営団2000形を両運化した中古車を2両投入し、全車塗装も新たに新装開店しますが、私は観光化のコンセプトに幻滅してしまい足が遠のいてしまいました。そしてバブル崩壊と共に銚子電鉄は最悪の危機に直面します。

次の訪問は9年後まで飛びますが、ちょうど最悪の危機に直面する直前でした。