ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第614話 1990年JR(鶴見):黄昏の旧国!

鶴見線クモハ12形が気になっていましたが、近くなのになかなか出向くチャンスがなく、気が付けば1年が経っていました。

 

1.101系3連 (鶴見:1990年3月)

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 この日は土曜日でした。午前中は何をしていたのか、午後から鶴見線に出向いた様です。なぜか鶴見駅で101系を撮影し、ここからスタートです。

 

2.クモハ12052 (新芝浦:1990年3月)

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 クモハ12形を先回りして、まずは海芝浦支線です。

この日の運用はクモハ12052でした。例によって陽の向きが真横です。

 

 

3.クモハ12052 (浅野~新芝浦:1990年3月)

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 海芝浦支線は、終点の海芝浦が東芝鶴見工場の敷地内にあり、東芝専用線みたいな存在です。普段は101系の3連が入線しますが、休日ダイヤの日中はクモハ12形単行の運用となりました。

 

4.クモハ12052 (浅野~新芝浦:1990年3月)

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京浜運河のこれほど近くを走るのもこの路線の特徴です。

 

5.クモハ12052 (浅野~新芝浦:1990年3月)

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 写真の右側は東芝鶴見工場です。この工場は大型の変圧器などを製造する工場で、かつては新芝浦から分岐する専用線を使用して製品輸送を行っていました。いまでも専用線は存在しますが、果たして機能しているのかわかりません。

 

6.クモハ12052 (武蔵白石~大川:1990年3月)

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 休日日中のクモハ12形は、鶴見から海芝浦と大川へ交互に運用されていました。今度は大川支線です。大川支線は、武蔵白石~大川間のわずか1km足らずの支線で、撮影場所はこの運河をまたぐ大川橋くらいしかありません。しかしこの鉄橋は下路ガーダーのため、ご覧のように列車の足回りが見えません。この鉄橋の間近で撮影するとこんな平凡な写真しか撮れませんが、実は少し離れた場所からここを撮影すると面白い写真が撮れました。

 

7.クモハ12052 (武蔵白石~大川:1990年3月)

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 それがこの写真です。この撮影場所は結構有名な様ですが、この日私は大川支線と並行する浜安善支線を探索中に偶然このロケーションに遭遇しました。ちょうど夕陽が大川橋を渡る列車に当たり、まさに「黄昏の旧国」です。その後もこの夕景に何度かチャレンジしましたが、なかなか夕陽と列車のタイミングが合いません。現在は車両が205系になりましたが、同じ様な写真は撮れると思います。