1992年11月は、3年ぶりに大井川鉄道を訪問しました。
この3年の間に井川線のアプト区間が開業し、ちょうどバブル期でもあったため、行楽シーズン中だったこの日は大変な賑わいでした。
1.クハ603他 (千頭:1992年11月)
井川線ではクハ600形(注1)と言う、見かけない車両がいました。
井川線の列車はアプト対応で井川寄りの車両が制御車化されていました。この車両は新車ではなく、スロフ310やトキ200形からの改造車です。前面は機関車と同じような顔になりましたが、台車はアーチバーそのままです。
(注1)クハ600形の車歴
・大井川クハ601←大井川スロフ310←大井川スロフ3←大井川Cトキ211:1953年新三菱重工製
・大井川クハ602~604:1990年日本車輌製(トキ200形から機器流用)
2.DD200形他 (千頭:1992年11月)
井川線列車の入線です。川根両国の車庫から出て来た様で、機関車重連の長大編成でした。オープンデッキのスロフ1形も健在の様です。
3.スロフ311+クハ602 (千頭:1992年11月)
この日は井川線もかき入れ時で、これからSL列車が到着すると大半の乗客は井川線に乗り換えてアプト区間へ向かいます。よって、客車は総動員状態でした。
4.スロフ304他 (千頭:1992年11月)
しかし、今回は井川線が目的ではありません。毎度の電車撮影が目的ではありますが、今回は特に行楽シーズンであることから、普段は見ることのできない、「噂の5連」の撮影が目的でした。
5.クハ861 (千頭:1992年11月)
これから、歩いて崎平方面に向かいますが、先ずは千頭の留置車両撮影です。
千頭は一時期旧型車の墓場状態でしたが、それらは一掃されてさっぱりしていましたが、相変わらず得体の知れないのがゴロゴロいました。その筆頭は元小田急のSSEでしたが、もうボロボロであまりにも悲惨な状態だったので撮影を控えました。そして、もう1両可哀そうな骸骨電車が・・・。この水玉模様のクハ861(注2)です。
ク861は、元名鉄3800形を種車とした初代モハ310+クハ510のクハ510をトロッコ風のイベント車として1986年に改造したものですが、あまり使用されずに千頭の墓場に入線してしまいました。恐らくもう使用されることはない様でしたが、廃車は1999年でした。
(注2)クハ861の車歴
・大井川クハ861←大井川クハ510←名鉄ク2805:1948年日本車輌製
6.モハ1001+クハ2001+モハ313+クハ513 (千頭:1992年11月)
私が金谷から乗って来た列車です。
写真のモハ1001+クハ2001(注3)は最初西武の中古車かと思っていましたが、よく見ると西武モドキの元伊豆箱根鉄道駿豆線のモハ1000形第1編成で、塗装もそのままでした。伊豆箱根時代はMTMの3連でしたが、大井川には両先頭車の2両が移籍し、MT化されました。この車両は1963年製で比較的新しい車両ですが、バリバリの吊掛車でした。
(注3)モハ1001+クハ2001の車歴
・大井川モハ1001←伊豆箱根モハ1001:1963年伊豆箱根大場工場製
・大井川クハ2001←伊豆箱根モハ1002:1963年伊豆箱根大場工場製