ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

号外:オリンピック開幕で思う57年前の日本

とうとう自粛中にオリンピックが開幕してしまいました。私はまだワクチン接種を受けておらず、自粛あるのみですが、例によって悩ましい4連休です。よって、ブログのネタ探しに、近所の実家に保管してある古い資料を物色に出かけました。

 実家へ向かう道中、隅田川の橋の上に大勢の人が密状態だったので、何事かと見ていたら、ブルーインパルスでした。

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 偶然通りかかっただけのはずでしたが、スマホでしっかり撮影しました。気が付けば、私も密の中・・・・。

 そして、実家で昔の資料を物色していたら、なんと57年前のこんなポスターが出てきました。こんなものがよく残っていたものです。

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 さて、57年前、私はまだ1歳だったので、オリンピックのことなど記憶にもありませんが、その年は東海道新幹線が開業した年でもありました。東海道新幹線首都高速もオリンピックの開幕に合わせて開業させたもので、当時のオリンピックに対する気合の入れ方が半端ではなかったと言うことです。しかし、それまでは新幹線がなかったわけで、その頃の日本の交通体系はいったいどうなっていたのか?大変興味深いです。

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 早速、57年前のオリンピック直前、すなわち東海道新幹線開業直前の交通公社時刻表復刻版を読み返しました。東海道新幹線がなかった時代の日本はどんな世の中だったのか、この57年前の時刻表から分かったことは意外な事実でした。

まず、当時の国鉄の定期特急列車ですが、なんと全国に23本しかありませんでした。その内訳は、下記の通り。

 1.第1こだま、第2こだま(電車):東京~大阪

 2.ひびき(電車):東京~大阪

 3.第1富士、第2富士(電車):東京~宇野、神戸

 4.第1つばめ、第2つばめ(電車):東京~広島、大阪

 5.はと(電車):東京~大阪

 6.おおとり(電車):東京~名古屋

 7.さくら(夜行寝台):東京~長崎

 8.みずほ(夜行寝台):東京~熊本、大分

 9.あさかぜ(夜行寝台):東京~博多

 10.はやぶさ(夜行寝台):東京~西鹿児島鹿児島本線経由)

 11.まつかぜ(気動車):京都~博多(山陰本線経由)

 12.かもめ(気動車):京都~長崎、宮崎

 13.うずしお(電車):大阪~宇野

 14.みどり(気動車):大阪~博多

 15.白鳥(気動車):大阪~青森、上野(信越線経由)

 16.つばさ(気動車):上野~秋田、盛岡

 17.ひばり(気動車):上野~仙台

 18.はつかり気動車):上野~青森(常磐線経由)

 19.とき(電車):上野~新潟

 20.おおぞら(気動車):函館~旭川、釧路

のぞみ号が3分間隔で続行する現代とは別世界です。九州、北海道、東北や日本海側はまだ非電化なので、電車特急はありません。東海道山陽本線以外は、のきなみ特急は1日1本で、四国には特急はありません。その分、急行や準急がうじゃうじゃ走っていましたが、この頃の特急は相当格が高い列車だった様で、特急の利用者は限られていた感じです。まだまだ一般人は、どこに行くにも時間がかかり、日本が広かった時代です。東京~大阪は6時間半ですが、日帰り出張はかなり厳しいと思われます。大阪は宿泊出張か、夜行出張が精一杯だったと思います。長距離普通列車や、夜行列車もボックスシートの旧型客車だった時代ですが、これらも出張には欠かせない交通手段だったと思います。ちなみに、東京~西鹿児島間(日豊本線経由)の急行高千穂号は、所要時間が29時間でした。果たして、全線乗車する人がいたのか?列車に乗ると言うことは、忍耐勝負だったようです。とにかく、移動が大変だった時代ですが、現在の様に大阪は日帰り圏内の時代となり、その分仕事量も増えました。果たしてどちらが良い時代なのか疑問に思うこの頃です。