ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第621話 1991年豊橋:乗り換えのついでに!!

ローカル線の車両を求めて、大阪や名古屋方面にはよく出向きましたが、なぜか静岡、浜松、豊橋あたりはいつも通過でした。理由は、魅力的な車両がなかったと言うよりも、途中下車が面倒くさかったことが本音かも知れません。しかし、気になっていたのが豊橋鉄道渥美線です。

豊橋鉄道は車両の体質改善のため1986年~1989年に名鉄から5200系が大量に導入されましたが、1991年時点はまだ各地から寄せ集めた吊掛車が健在でした。よって、名古屋方面に出向いた帰り道、豊橋名鉄からJRに乗り換えるついでに、高師の車庫を覗きに行きました。

 

1.モ1906+モ1956 (高師:1991年11月)

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 正直、豊橋という所はマイナーなイメージしかありません。しかし、渥美線以外に豊橋鉄道の市内線も走っており、名鉄名古屋本線とJR飯田線の起点でもあり、鉄道要衝の街です。そう言えば、あの日本車輌の工場もこの近くにあります。

さて、最初に乗ったのは元名鉄5200系だったカルダン車の1900系でした。冷房付きで立派な車両ですが、私にとってはどーでもよい車両でした。

 

2.モ1731+ク2731 (高師:1991年11月)

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 そして、高師には吊掛車がいました。元東急デハ3500形だったモ1731+ク2731(注1)です。

この車両は1975年に降圧改造されてやって来た、おとなしそうな表情の東急電車ですが、その車歴は凄まじいクセモノです。

(注1)モ1731+ク2731の車歴

豊橋モ1731←東急デハ3553←帝都デハ1401←小田急モハ101←帝都モ101:1933年川崎車輌

豊橋ク2731←東急デハ3554←小田急デハ1366←小田急モハ251←小田急クハ564:1930年川崎車輌

 モ1731+ク2731の前身である東急デハ3553は1959年、デハ3554は1964年に東横車輌で車体更新を受けたので比較的近代的な車体になっていますが、それぞれの更新前の前歴は文献により様々で確信が持てません。特に戦中戦後の東急、小田急、帝都の合併劇は凄まじく、車籍の変遷が非常に複雑です。ここでまた、車歴の呪縛に掛かりそうです。

 

3.モ1701+ク2701 (高師:1991年11月)

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 更に奥には、元西武モハ227+クハ1222だったモ1701+ク2701(注2)がいました。この車両は1963年に豊橋にやって来ましたが、まだまだ現役でした。

(注2)モ1701+ク2701の車歴

豊橋モ1701←西武モハ227←西武モハ257←西武モハ207:1941年梅鉢鉄工製

豊橋ク2701←豊橋ク1751←西武クハ1222←西武モハ222←西武モハ252←西武モハ202:1941年梅鉢鉄工製

 

4.モ1601+ク1651+モ36 (高師:1991年11月)

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 そして、もっと奥の廃材置き場には怪しい車両が・・・。この車両も廃材なのか?

この緑色の車両はモ1601+モ1651(注3)でした。この時点ではまだ車籍があり、廃材ではありません。なぜ緑色なのかわかりませんが、1988年の引退時にイベントで塗り替えられようです。ちなみにこの車両も数奇な運命の強者でした。2両共生まれは一緒で静岡電気鉄道に120,121として導入されましたが、その後泣き別れとなります。モ1601の前身である120の方は渥美線の前身である渥美鉄道に1938年に移籍。モ1651の前身である121の方は西武鉄道に売られ、その後1959年に豊橋鉄道へ移籍となり、両車は再びめぐり合います。そして1972年にユニットを組むことになり、1992年に共に廃車されました。

 (注3)モ1601+モ1651の車歴

豊橋モ1601←豊橋モ1201←名鉄モ1201←渥美デホハ120←静岡120:1931年日本車輌

豊橋モ1651←豊橋モ1602←豊橋モ1202←西武モハ161←西武クハ1231←西武クハ1159←西武クハ1121←西武モハ121←静岡121:1931年日本車輌

 

5.モ1711 (高師:1991年11月)

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さて、この黒い車両ですが標記上はモ36と言うことですが、この時点の車籍上の形式はモ1711(注4)です。この車両は元田口鉄道の車両で、合併で豊橋鉄道田口線に引き継がれた後、田口線の廃止で渥美線に転入してきた車両です。1988年の引退時に田口線時代の焦げ茶色に塗られて標記をモ36に書き替えてイベント運転されましたが、そのままここに留置されたままとなりました。この車両は田口鉄道の生き残りで非常に貴重な車両でしたが、1992年にここで廃車解体されました。

 (注4)モ1711の車歴

豊橋モ1711←豊橋モ36←豊橋モハ36←田口モハ36←田口モハ101←田口101:1929年日本車輌

 

 6.デワ11 (高師:1991年11月)

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 高師の車両工場には、車両の入換機としてお宝のデワ11(注5)がいました。この車両は渥美線の生え抜きですが、元は旅客車でした。渥美線は一時期名鉄時代がありましたが、この車両は開業時からずっと渥美線にいました。

(注5)デワ11の車歴

豊橋デワ11←名鉄デワ33←名鉄モ3←渥美デハ102:1923日本車輌

 

7.モ3104 (豊橋駅前:1991年11月)

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豊橋鉄道渥美線の高師車庫を駆け足で訪問し、あっと言う間に豊橋に戻りましたが、まだ明るかったので、市内線の路面電車の方も覗きに行きました。

豊橋鉄道の市内線もこの日が初めてでした。

やって来たのはモ3100形(注6)ばかりです。この車両は名古屋市電のお古ですが、珍しく新潟鐵工所製です。しかし、 どうも車体広告車しか走っていないようでした。

よって、撮影意欲も減退で、たったの2両撮影しただけで撤収です。まさしく、乗り換えのついでの撮影です。

 

8.モ3103 (豊橋駅前:1991年11月)

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(注6)モ3100形の車歴

豊橋モ3101~3109←名古屋市1465~1471,1473,1474:1943年新潟鐵工所

モ3100形は、名古屋市電の廃止に伴い、1971年の豊橋へ大挙してやってきました。名古屋時代にワンマン化されており、1990年にモ3109が廃車されましたが、順次冷房化、車体更新を受けて当面の主役となります。 

さて、この日は市内線を、本当に上っ面だけ眺めて終わってしまいましたが、この翌年には、初めて終点まで乗り、一応沿線撮影も行いました。