今回は2度目の訪問となった豊橋鉄道の1992年の状況です。
この日も「ついで」と言うか、近鉄北勢線、養老線撮影の帰り道でした。しかし、この日はもう夕方だったので、渥美線には寄らずに、とりあえず市内線だけの訪問です。
1.モ3702 (赤岩口:1992年5月)
なぜ、市内線を優先したかというと、このモ3702(注1)を見るためでした。この車両も元名古屋市電ですが、日本初の半鋼製低床ボギー電車とのことで、いつなくなってもおかしくない古い車両だったからです。
2.モ3702 (赤岩口:1992年5月)
(注1)モ3702の車歴
・豊橋モ3702←豊橋モ702←名古屋市1204:1927年日本車輌製
モ3700形は、もともと4両が1963年に名古屋市から移籍しましたが、このモ3702だけが生き残り、訪問時すでにイベント的な存在になっており、ギャラリー電車になっていましたが、辛うじてオリジナル塗装モドキで健在でした。この日は運用されておらず、残念でしたが何とか撮影できました。
3.モ3704廃車解体 (赤岩口:1992年5月)
そして、もう1両のモ3704は、路線縮小のあおりで10年間も赤岩口の留置線に放置されていましたが、復活することなく、ちょうど解体中で哀れな姿でした。
4.モ3109廃車 (赤岩口:1992年5月)
赤岩口の留置線にはもう1両廃車が放置されていました。これは、1990年に廃車となったモ3109です。再生できそうな部品は外されて解体待ちの様子です。
5.モ3102 (東八町:1992年5月)
豊橋鉄道の市内線は東田本線という正式名称があります。かつては柳生橋支線なども存在しましたが路線短縮されました。しかし、1982年に僅か0.6kmの支線が開業し、路線長5.3km弱となり現在にいたります。
この日は初めての訪問でもあったので、まずは終点まで乗りましたが、帰りは撮影しながら、全線歩いてしまいました。
6.モ3105 (東八町:1992年5月)
市内線の車両は相変わらず、車体広告車ばかりでした。これも貴重な収入源なので仕方ありませんが、全く撮影意欲が湧きません。
7.モ3201 (東八町:1992年5月)
モ3200形(注2)は元名古屋市電ではなく、元名鉄美濃町線のモ580形を3両譲受したものです。
(注2)モ3200形の車歴
・豊橋モ3202,3203←名鉄モ581,582:1955年日本車輌製
8.モ3301 (豊橋駅前:1992年5月)
モ3300形(注3)はスリムな元北陸鉄道金沢市内線の2300形です。この車両は全鋼製の間接非自動制御車で、1967年に2両を譲受しましたが、他車に比較し小柄でパンタ付きの異端車でした。
(注3) モ3300形の車歴
・豊橋モ3301,3302←豊橋モ301,302←北陸2301,2302:1961年日本車輌製
豊橋鉄道の市内線は小規模なので、あっという間に撮影終了です。まあ市内線は良しとして、渥美線の撮影を本腰入れなければなりません。渥美線の沿線撮影はこの翌年になりました。