誰もいない真鍋機関区は異次元の空間でした。
なんだか見てはいけないモノを見てしまった感じです。
1.キハ541 (真鍋:1988年4月)
キハ541は、路線廃止よりも一足早く1985年に廃車されましたが、解体されることなく放置され、廃止後も居残りました。奇妙なバケットカーですが、なんとも異様な光景です。
2.キハ762、キハ763、キハ761他 (真鍋:1988年4月)
こんな時に、雄別三兄弟(キハ760形)の並びが撮れました。道産子とはいうものの、筑波で過ごした期間の方がはるかに長かったこの3両ですが、仲良く生涯を共に閉じました。
3.キハ541+キハ511 (真鍋:1988年4月)
キハ541は、以前にもお伝えしましたが、元北陸鉄道能登線からやって来た気動車です。元々が客車だったクセモノです。1957年製なので、キハ760形と同じ歳ですが、このスタイルは新しいのか古いのか微妙な風貌です。
4.キハ541+キハ821 (真鍋:1988年4月)
キハ541の左側にはSL時代の給水塔が残っていましたが、やけにキハ541とマッチしていました。
5.キハ511 (真鍋:1988年4月)
キハ511は元西のライバル江若鉄道からやって来た唯一の原型を留める生き残りでした。筑波鉄道分離時には、龍ヶ崎線で使用する計画だったようで、車籍はしばらく関東鉄道のまま保管されていましたが、結局、筑波に残ることになり、廃止まで活躍しました。憎めない愛嬌のあるブサイク車両でしたが、運行の機会は少なく、走行撮影は叶いませんでした。
6.真鍋機関区全景 (真鍋:1988年4月)
一体いつまでこの状態が続くのか? 残された気動車は、成仏できない地縛霊の様でした。
ところで、廃止時にいた車両で姿が見えなかったのは、キハ301とキハ503~505です。これらの車両は廃止後に関東鉄道常総線に引き取られましたが、再起したのはキハ301だけで、キハ503~505は、常総線で仲間のキハ501,502と合流したものの入籍することなく解体されてしまいました。すばらしい車両だったのに残念です。
そう言えば、キハ461もいません。キハ461は唯一元国鉄キハ41000系の原型を維持する車両だったので、1985年の廃車以降も保存目的で保管されていましたが、この車両は廃止後に保存のため、つくば市内に移転していました。その後は黎明期の国鉄機械式気動車として、鉄道博物館に殿堂入りしたことは周知のとおりです。
7.廃線撤去作業 (土浦~真鍋:1989年12月)
そしてこの写真は、翌年の12月です。
まだ気動車達は真鍋にいるのか?土浦から廃線をたどりましたが、途中線路の撤去作業に遭遇しました。さらに数百mほど進み、真鍋機関区を眺めましたが、もう見慣れた景色はなくなっていました。これが現実です。よって、真鍋まで行く必要もなくなり、そこで引き返しました。これが最後の筑波訪問となりました。