ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第631話 1989年鹿島:刺客現る!!(その4)

鹿島鉄道の初冬はなんとも良い雰囲気でした。その後も鹿島鉄道にはよく撮影に出向きましたが、車両撮影もさることながら、四季折々の沿線景色が楽しみでした。

 

1.キハ431 (八木蒔~桃浦:1989年12月)

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 たまには、気取った撮影をしてみたくなるものです。新潟交通を思い出し、秋空とススキを入れて撮ってみました。本来この様な撮影にはちゃんとしたフィルムを使用するべきですが、私の場合は1本300円の逆輸入フィルムです。それでもこれだけしっかり撮れたので、逆輸入フィルムもたいしたものです。

 

2.貨物列車 (八木蒔~桃浦:1989年12月)

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 さて、お目当ては貨物ですが、DD重連の長大編成でやって来ました。2両の機関車は黒煙を上げて全力走行です。タンク車はお尻が見えない程つながれていましたが、とりあえず備えあれば何とかで、ここで待って正解でした。ちなみにこの機関車は総括運転できないので2両に運転士さんが乗っています。

 

3.貨物列車 (八木蒔~桃浦:1989年12月)

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 この頃の鹿島鉄道は、このジェット燃料輸送で賄われていたわけですが、貨物と言い、気動車と言い、沿線風景と言い、この当時の鹿島鉄道は撮影には申し分ありませんでした。

 

4.キハ431 (常陸小川~四箇村:1989年12月)

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 続いて常陸小川付近の丘陵地帯です。ここも変化に富んだ風景が楽しめる場所でしたが、常陸小川までは列車本数が大増発されていました。概ね30分ヘッドでした。

 

5.KR502 (四箇村~常陸小川:1989年12月)

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 というわけで、ここまでは新車も頻繁にやって来ました。が、撮影したKR500形は鉾田行きでした。ということは、KR500形も運用によっては、鉾田まで行く様でした。刺客は徐々に行動範囲を広めていました。

 

6.KR501+KR502 (新潟鐵工所大山工場:1989年5月)

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最後はおまけですが、KR500形誕生の頃です。第509話のNDC考察で記述した通り、この車両は民間の非電化私鉄に導入されたNDC初号機でした。その最初の納入先が鹿島鉄道だったわけですが、当時ですら国鉄の赤字転換路線などの第三セクターを除くと、時すでに非電化私鉄など片手で数えられる程しかなく、結果的にNDCは旧型車淘汰の刺客と言うほど強烈な存在ではありませんでした。あれから32年が経ち、鹿島鉄道過去帳入りして久しいですが、それでも気動車の需要は現在もゼロではありません。これからの環境対策を考えれば、もうディーゼルカーの開発には無理があると思われます。ならばバッテリーカーなのか、さもなければ水素エンジンカーなのか、少なくとも電気式気動車以外に選択肢がないと言うことではありません。