ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第636話 1992年小口川:名もない天空の資材運搬軌道(その2)

今回のリベンジは、非常に無謀でしたが、軌道が確実に残っている確証がありました。

それは、1992年に神保町の本屋で購入した「EP-anthology」という同人誌によるものですが、まだネット社会となる前の、情報が乏しかった時代の貴重な資料でした。この同人誌の編集兼発行人の中部浩佐さんの記事である「史上サイテーの機関車」が小口川資材運搬軌道存在の裏付けとなり、私のリベンジの起爆剤となりました。

 

1.撮影場所詳細(引用:国土地理院1/25000地形図「小見」昭和52年発行)

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今回は、いよいよ軌道残存区間に踏み込みます。上図 は昭和54年発行の地形図です。この地形図では、索道の上端が軌道の起点になっていますが、1992年時点では、軌道のほぼ半分が廃止されてトラック道となり、その先に新たな軌道の起点がありました。

 

写真⑧

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 写真⑧は新たな軌道の起点となった地点です。ここはトラックの転向場でもあるため、平場になっています。ちょうどトラックが止まっていましたが、誰もいませんでした。

 

写真⑨

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 そして、写真⑨は残存する軌道の起点です。レールは唐突に途切れて、大きな木が車止めになっていますが、その先は断崖絶壁です。軌道の端部には発電ユニットを積んだ木製の平トロが留置されていました。

 

写真⑩

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軌道の起点から10mほどの場所に、写真⑩の資材荷役設備がありました。 軌道を跨ぐH鋼の立派な櫓が設置されていました。

 

写真⑪

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写真⑩の位置から振り向いて撮ったのが写真⑪です。やはり軌道は残っていました。しかし、レールは錆びており、運行されているのか?

この先は線路敷が非常に狭く、これではトラックは通れません。軌間が広く見えますが、762㎜のナローゲージです。

 

写真⑫

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写真⑫は軌道の山側がコンクリートの壁となっています。これは土砂災害の防護壁ではなく、冬季の歩道(人道トンネル)です。黒部峡谷鉄道にも同様の人道トンネルが設置されていましたが、それと同じ目的です。この辺りは豪雪地帯ですが、軌道が使用できない冬場は、このトンネルを歩いて行くしか方法はありません。トンネルの中をのぞいて見ましたが、幅は1m程しかなく、照明もなく、何が出て来るかわかりませんので、立ち入るのはやめました。 

 

写真⑬

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 写真⑬は木立の中を進む軌道です。8月でしたが下界と違い、非常に爽やかでした。

等高線にそって坦々と敷設されていますが、左側は断崖です。この辺りは人道トンネルがありませんが、冬季は歩けるのか?