ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第640話 1992年小口川:名もない天空の資材運搬軌道(その6)

この日は念願の小口川資材運搬軌道の全容を確認することができました。しかし、ゲテモノロコは走っておらず、作業現場もお休みの様でした。残念ですが仕方ありません。

 

1.撮影場所詳細(引用:国土地理院1/25000地形図「小見」昭和52年発行)

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 さて、今回はこのシリーズの最後となりますが、軌道の終点には、もう1台のゲテモノロコが佇んでいました。

 

写真㉜

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写真㉜は軌道終点を望む写真ですが、軌道の先の方に何か止まっています。 

 

写真㉝

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写真㉝がこの軌道の終端部です。 止まっていたのは、なんともう1台のゲテモノロコと鋼製トロの編成でした。ゲテモノロコの背面は塗装が剥がれてボロボロですが、健在のようです。

 

写真㉞

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 写真㉞は2号機です。もう廃車になったのかと思っていましたが、まだ現役のようです。外れそうなダットサンラジエーターグリルが誇らしげ?です。もうボロボロですが、捨てるに捨てられないのか。しかしながらもう1台の主力機が修理中なので、この頃はこの2号機が活躍していたものと思われます。

 

写真㉟

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写真㉟は軌道終端部のさらに先の様子です。ここにも重量物の積込み設備がありましたが、肝心のレールが敷設されていません。どうやらゲテモノロコは 、コンクリート路面を走る様です。

さて、終点を極めれば後は帰るだけです。帰りはあっけなく、来た道を坦々と戻りましたが、途中カモシカに遭いました。しかし人には全く合わず、帰りは3時間かけて有峰口駅に戻りました。

 今回は何とか2両のゲテモノロコの現物を見ることができました。しかし、ここまでしてこれが何だったのか、バカ丸出しの労力浪費であったことは我ながら重々承知です。

 

2.現地概要(引用:国土地理院1/50000地形図「五百石」昭和8年発行)

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ところで、小口川資材運搬軌道について少々補足です。この軌道の歴史は非常に古く、大正時代にはその前身である下部軌道が存在していたそうです。手元にある昭和8年発行の地形図に、その前身である下部軌道が記されています。上図はそのコピーですが、軌道Aと記した黄色いマーカー部分が当初の軌道です。上図によれば、当初の軌道は現在の富山地鉄横江駅近くの常願寺川対岸を起点として、小口川沿いの河戸という集落まで敷設され、その先は索道もない全くの山道が第3発電所まで記されています。

ところが、その後の変遷は、この軌道が工事用の仮設軌道的存在であったことから、長らく国土地理院もフォローできていなかったようで、昭和32年の修正においても記載は変わらずです。そして、昭和34年発行の改訂版でようやく見直されますが、下部軌道も消えてしまいました。これは全く怪しいです。少なくとも索道や手押し又は牛馬による軌道はあったのではないか、そのあたりの話しが、同人誌の「EP-anthology」で中部浩佐さんが考察されています。

 

3.現地概要(引用:国土地理院1/50000地形図「五百石」昭和46年発行)

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そして、昭和46年発行の改訂版では、当初の軌道終点あたりからインクラインB、軌道C、索道D、軌道Eが記されます。ここでもインクラインB、軌道Cの存在が怪しいですが、索道D、軌道Eは現存します。インクラインB、軌道Cは実際に存在したのでしょうが、その時期がはっきりしません。恐らく林道が第2発電所まで開通した時点まではあったと思われます。 

 

4.現地概要(引用:国土地理院1/50000地形図「五百石」昭和54年発行)

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 続いて、昭和54年発行の改訂版では、索道D、軌道Eのみの記載となります。この時点の記載は信憑性が高く、現在に通じます。その後、軌道Eは索道側の起点を変更して、索道との接続がなくなり、現在の路線となりますが、その後の地形図からは索道D、軌道Eの記載がなくなり、現在に至ります。とうとう国土地理院も愛想を尽きた様子です。どの程度の軌道なら地形図に標記されるのか?結構適当なのかも知れません。

 

横道に逸れてしまいましたが、1992年の訪問はゲテモノロコの走行は撮影できませんでしたが、とりあえずリベンジは果たせたと言うことにしておきます。この時は、いずれまた来ればよいと思いましたが、その後は現在に至るまで現地訪問は実現せず。もう29年も経ってしまいましたが、この軌道は機関車も新しくなり、未だに健在とのことです。

もうかつての様なバカはできませんが、可能ならヘリコプターが飛ぶ日に便乗させてもらいたいです。