ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第644話 1992年福井:前近代的LRTの頃(その3)

1992年11月の福井鉄道訪問は、天気が良かったのですが、少しだけの訪問となりました。

なぜなら京福越前本線を先に訪問したためです。いつもは、福井鉄道優先でしたが、たまには京福越前本線もしっかり見ておこうと思い、夕方になってしまいました。

 

1.モハ161-1+モハ161-2 (西武生:1992年11月)

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 西武生では、いつも寝ていたモハ160形がなんとパンタを上げていました。前面の行き先表示には試運転と表示されています。もしや走るのかと期待しましたが、この日は乗務員教習とのことで走りませんでしたが、走る日もあるとか。走行撮影はできませんでしたが、生きているモハ160形を初めて見ることができました。

 

2.モハ81+クハ81 (西武生:1992年11月)

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 さて、モハ80形は見た目はさておき、元を辿れば南海電鉄創成期の卵型電車で、当時の福井鉄道では車歴が一番古い車両でしたが、なんとカルダン化され、冷房化もされて完全に生まれ変わっていました。相変わらず地味な変化を続けていました。

 

3.モハ300形2連 (家久~上鯖江:1992年11月)

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 この日はまだ日没まで少々時間があったので、本線撮影に出向きました。

最初は急行のモハ300形が現れました。時期的に武生の菊人形祭りの真っただ中だったので、お祭りのヘッドマークを付けていましたが、正直ない方が良いです。

 

4.モハ203-1+モハ203-2 (家久~上鯖江:1992年11月)

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 モハ200形もやって来ました。この列車は急行でした。モハ200形は急行の座をモハ300形に譲ったはずですが、たまに急行の運用に入っていたようです。

この電車も小さなヘッドマークが付いていましたが、このくらい離れて撮影すると、何が付いているのかわかりません。モハ200形はかつては急行用のヘッドマークを掲げていましたが、その頃の印象が強く、なにも付いていないよりは、小さなヘッドマークでも付いていた方が様になります。

 

5.モハ203-2+モハ203-1 (上鯖江~家久:1992年11月)

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 陽が傾き露出が厳しくなってきましたが、この辺りは60km/h以上で飛ばして来るので、シャッター速度を下げるわけにはいきません。フィルムがASA400だったのでF2.8:1/250秒でギリギリです。

 

6.モハ200形2連 (家久~上鯖江:1992年11月)

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 次の列車はもうシャッター速度を下げるしかなく、ブレないよう無難に遠目に撮影です。わずかな時間でしたが結局吊掛車は現れず、この日はこれで撤収です。

いずれ福井鉄道の吊掛車の走行撮影をしっかり行わなくてはなりませんが、その機会は2年後の1994年になりました。