ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第646話 1993-94年広島:市内線の旧型オリジナル車両

また広電シリーズの到来です。

以前お伝えしましたが、この頃私は仕事の関係で広島に入り浸りだったので、暇があると広電の車両を撮っていました。その撮影枚数は膨大でデータ化するのも嫌になってしまうほどです。今回はその中から当時の市内線車両のうち、広電オリジナルの旧型車両をピックアップして、当時の広島市内の寸景をお伝えします。なお今回は、車体塗装もオリジナルの塗装車両のみを集めてみました。

 

1.651 (原爆ドーム前本川町:1993年8月)

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まずは広電オリジナルで一番年長(イベント車の156は除く)の650形です。

この電車は言わずと知れた被爆車両です。当時は4両が健在でした。戦前製の古い車両ですが、原爆の証人として徹底改修を受け、冷房化されて一般運用に充当されていました。

 

2.652 (原爆ドーム前本川町:1993年8月)

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 ここは相生橋です。まだ通勤時間前なので車も少なく閑散としています。左側は平和公園で、目の前に原爆ドームがありますが、なぜかこの電車と原爆ドームを一緒に撮る気が起こりませんでした。

 

3.653 (原爆ドーム前本川町:1993年8月)

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 日中この辺りは自動車が多く、まともな撮影が出来ませんが、早朝だとこんな感じでスッキリした写真が撮れました。早朝といっても7時頃です。この時間を狙ったのは、広島に住んでいた頃の教訓からですが、広島の朝は意外と遅く、7時頃から大混雑の東京とはちょっと違います。

 

4.653 (八丁堀:1993年8月)

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 紙屋町から八丁堀にかけては、広島の繁華街です。そろそろラッシュ時間帯になってきたので、自動車の数が増えてきましたが、結構バスが目立ちます。

実は広島は路面電車以上にバスの街です。広島の街は狭くてすり鉢状です。爆発的に増えた人口はすり鉢の外側にあふれてしまい、山林地帯を切り開いてベッドタウン化されましたが、地形的にバスが幅を利かせています。アストラムラインが開通した当初は、その沿線のバス路線に規制がかかり、アストラムラインの駅を基点とするバス路線が構成されましたが、その後規制緩和となり、バスは市内まで直通し、追い打ちを掛ける様に広島高速道4号線のバス通行開放によりバスが生き返りました。反面、アストラムラインは打撃を受けたわけですが、もう少しバスと軌道系交通機関との協調を考えるべきではないかと思います。

 

5.651 (宇品:1993年11月)

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 路面電車の形式写真を落ち着いて撮れるのは宇品電停の降車専用ホームでした。現在は宇品港ターミナルの改修に伴い、電停の位置が移動したため、この場所でこの様な写真は撮れません。

 

6.654 (宇品:1994年2月)

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ここは午前中が順光となり撮影には最適です。この場所に居ると、いろんな電車が次々やって来ます。この日は654がやって来ました。

 

7.652 (段原大畑町~比治山下:1994年5月)

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さて、650形に話を戻しますが、この車両は元々3扉の高床車でした。1953年に低床化され、その後運転席左側の扉を閉鎖して、扉配置が前中2扉となりましたが、閉鎖された扉はそのままの状態でその部分にも腰掛が設置されていました。