ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第647話 1993-94年広島:市内線の旧型オリジナル車両(その2)

さて、もう少し650形が続きます。650形の運用は他の車両と共通運用でした。よって、毎日4両のどれかが、どこかの系統で走っていたので、撮影の空振りを食らうことはまずありませんでした。主に1系統と3系統で走る機会が多く、これらの系統の沿線で待っていれば必ず撮影できました。

 

1.652 (福島町~西観音町:1993年8月)

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 ここは平和大通りの西詰です。ここでは、3系統の650形が撮影できました。平和大通りは、原爆の復興で戦後に整備されたもので、沿道と緑地帯を含む幅100mの道路です。広電の軌道は以前もう少し北側の天満町の軌道筋を直進して、専用軌道で太田川を渡っていましたが、平和大通りの建設にあわせて移設されました。

 

2.653 (宇品~向宇品口:1993年8月)

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650形は12m級の中型車に分類されます。外観は元大阪市電の750形に似ていますが、750形に比べてやや小ぶりです。特に750形のうち761~764は元大阪市電1651形(1651~1654)で、1940年に散水車の足回りを流用して製造された電車ですが、ちょうど時期的にも650形と同じ木南車輌製であることから雰囲気が似ています。

 

3.652 (皆実町六丁目御幸橋:1993年12月)

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ここは、1系統と3系統が走る区間です。よって、650形の撮影機会が増えます。ただし、自動車の通行量も多く撮影のタイミングがなかなか難しいです。この写真は偶然自動車が信号待ちだったのでタイミング良くスッキリした写真になりました。

 

4.651 (本川町~十日市町:1994年3月)

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   650形は車体広告車がなく、在籍する4両すべてがオリジナルの塗装でした。これはその後も継承されました。やはり特別な車両だからでしょうか。

 

5.652 (海岸通~向宇品口:1994年6月)

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現在650形は、651~653の3両が健在ですが、やはり高齢のため、運行頻度が減少しています。徐々にイベント車的な存在になりつつありますが、いつまでも残っていて欲しい存在です。

 

6.旧801Ⅱ保管車 (荒手車庫:1994年2月)

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突然話題は変わりますが、ここは広電の遺体安置場とも言える荒手車庫の片隅です。

 写真は車体番号もありませんが旧800形です。この車両はすでに車籍はなく、荒手車庫で保管されていたものですが、広電の戦後初の新車で1951年にナニワ工機で10両製造されたうちの1両です。旧800形は1970年代に廃車となりましたが、千田町車庫の火災で車両不足となったため、803のみが廃車を免れて急遽801Ⅱに改番されて1976年に復活しました。私が広島に住んでいた当時、801Ⅱはまだ現役車両でしたが、残念ながら現役時代の写真が1枚もありません。当時は広電というか路面電車に興味がなかったからです。

 

7.旧801Ⅱ保管車 (荒手車庫:1993年11月)

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801Ⅱは元々前後2扉車でしたが、復活の際に運転席左側の扉を埋めて前中2扉となりワンマン化されました。しかし活躍期間がは短く1983年に廃車となり、もう10年も荒手車庫で倉庫代わりになっていました。ところで、後から設置された中扉の戸先(右)側には小窓が設けられています。これはツーマン運転時の車掌用の窓ですが、元京都市電の1900形にも同様な小窓が設置されました。