ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第663話 1992年岳南:貨物が頼りだった頃(その3)

岳南鉄道は東急5000系が導入されるまで、12両の電車が在籍していましたが、そのうち8両が元小田急電車で、この8両は5000系と入れ替わり、再就職のあてもなく全車が廃車となり、そのうち5両がダルマとなって残存しました。

 

1.ED402、モハ5002+クハ5102 (比奈:1992年1月)

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 そして、元小田急電車以外の4両は鋼体化名義の自社発注車で、3両は日車標準車体の電車でした。なぜかモハ1105だけがステンレス製日車標準車体風の更新車でしたが、これはSUS鋼体の試作を兼ねた汽車会社製でした。この4両は共に再就職が決まり、モハ1101,1103,1106は近江鉄道、モハ1105は大井川鉄道に引き取られました。

 

2.旧クハ2601廃車体 (岳南富士岡:1992年1月)

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 岳南富士岡には、もう1台ダルマがいました。このダルマは車庫の敷地内なので、岳南鉄道が倉庫代わりに使っている様でした。色は電気機関車と同じ塗料なのか焦げ茶色です。

 

3.旧クハ2601廃車体 (岳南富士岡:1992年1月)

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 このダルマは、旧クハ2601です。これも元小田急デハ1608で、1972年に岳南にやって来ました。

 

4.モハ5003+クハ5103 (岳南富士岡~須津:1992年1月)

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 岳南富士岡の車庫をのぞいたあとは、もう見るものがなくなってしまったので、とりあえず歩いて終点の岳南江尾まで行くことにしました。岳南富士岡から先は工場地帯から脱し、一転して農村地帯となります。

  岳南江尾は岳南富士岡から3km弱の道程です。東海道新幹線の高架脇の何もないところでしたが、富士山は拝めました。

 

5.モハ5004 (岳南江尾:1992年1月)

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思えば、毎週新幹線でここを通過していた頃がありましたが、この場所に来るとなると非常に不便な場所です。東京から「のぞみ」なら止まらないものの、わずか40分程でこの地点を通過しますが、東海道線を乗り継いでくると3時間近くかかります。しかし、新富士という駅ができたので、辛うじて東京まで2時間圏内です。

 

6.モハ5004+クハ5104 (岳南江尾:1992年1月)

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 改めて5000形ですが、この電車は各地で活躍していましたが、この岳南鉄道の塗装が一番まともだったように思えます。岳南鉄道はその後乗客が減り、とうとう元京王井の頭線3000系だった7000形を両運車で導入し、5000形を置き換えますが、最近富士急から購入した元京王5000系の9000形もこの塗装が踏襲されて、これもまたしっくりと岳南塗装が馴染んでいい感じだと思います。

 

7.モハ5004+クハ5104、モハ5002+クハ5102 (岳南江尾:1992年1月)

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 岳南江尾はなにもないところです。貨物列車も須津までです。なぜここまで開通したのか?

あれから29年経った現在の岳南鉄道は、もう貨物輸送がなくなってしまい、これからは頼りにならなかった旅客輸送で生計を立てていかねばならなくなりましたが、車両は元京王電車に代わり、まだまだ頑張ってもらいたい鉄道です。