1992年は立山砂防の撮影を中心に北陸地方のローカル私鉄へよく出向きましたが、いつも晴れているとは限らず、雨の日はどこかで時間つぶしをしなければなりませんでした。たいていは富山地鉄を乗り回したり、富山界隈をブラブラしていましたが、それだけでは時間が余ってしまい、結局は雨が降ったら黒部です。
1.ED29+貨物列車 (宇奈月:1992年11月)
黒部峡谷鉄道の話題は、第536話、第537話で1990年の車両の様子をお伝えしましたが、その時は出費を抑えるため乗車もせず車庫見学だけで終わりました。よって、今回は乗車することにしましたが、その前に再び車庫訪問と、少々沿線の撮影を行いました。
2.ED11、ED9 (宇奈月:1992年11月)
2度目の車庫訪問は、勝手知ったる裏口からお邪魔しました。この日は秋の紅葉シーズン真っ盛りで、雨にもかかわらず車庫内は空っぽでしたが、今回はED11とED9が庫内に居ました。この頃はまだ、凸型の電気機関車が結構いましたが、旅客列車の牽引は箱型機が主力で、凸型機は工事列車の牽引がほとんどでした。
3.ED13 (宇奈月:1992年11月)
この日は運よく、前回訪問時に見ることが出来なかったED13とED17を見ることができました。ED13以降の機関車は、少し丸味を帯びた凸型機になりましたが、製造メーカーが東洋電機から日立製作所に変わりました。
4.ED13 (宇奈月:1992年11月)
このED13(注1)は地方鉄道になって最初に増備された車両です。黒部第四発電所建設の資材運搬用に同型の凸型機が4両(ED13,15,16,17)製造されましたが、この当時残っていたのはED13とED17の2両で、ED15,16はEH101,102に臓物を提供し、すでに存在していませんでした。
(注1)ED13の車歴
5.ED17 (宇奈月:1992年11月)
そして、ED13の増備であるED17(注2)は、若干スタイルが変わり、前面窓がHゴム支持の3枚窓になりました。なんとなく容姿が古めかしくなりましたが、この車両が凸型機の最終となりました。
(注1)ED17の車歴
ところで、このED17は、翌年に性能UP改造を受けてEDR17となりましたが、その際に箱型車体になりました。そして、この凸型車体をED13に譲り、ED13はEDS13となりました。
6.ED19+貨物列車 (宇奈月:1992年11月)
この機関車はED19ですが、ED18以降は機関車のスタイルが箱型で新製されました。1992年時点で同型の箱型機はEDM32まで増備されていましたが、その後、既存の機関車は性能アップのため、ED形からEDS形、EDM形更にEDR形へと改造され形式変更されます。
7.ED21 (宇奈月:1992年11月)
ちなみに、1992年時点在籍していた機関車の性能アップに伴う形式の変遷は以下の通りです。
・ED13→EDS13
・ED15,ED16→EH101,EH102(重連化)→EHR101,EHR102
・ED17~ED21→EDR17~EDR21
・ED22,ED23→EDM22,EDM23
・ED24~ED29→EDM24~EDM29→EDR24~EDR29
・ED30→EDM30
・EDM31,EDM32(新製時からEDM)
EDM化は、定格牽引力を向上させるため、歯車比を小さくする変更で、これに伴い自重が15.5tから16.8tになりました。EDR化は、牽引定数を変えずに全負荷時の最高速度を向上する変更です。これらの性能アップは増加する観光客輸送に対応するためのものと思われます。