ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第670話 1992年伊豆箱根(大雄山):羽振りが良かった頃(その2)

大雄山線の走行撮影は3年半ぶりでした。このブランクの間に旧型車はめっきり減ってしまい、代わりに新鋭の5000系が増えました。

 

1.クモハ5005+モハ5006+クハ5503 (相模沼田~飯田岡:1992年4月)

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 当時の伊豆箱根鉄道は羽振りが良かったのでしょうか、大雄山線駿豆線ともどもステンレスカーの増備が続いていました。こういう車両が増えてくると、もう私のローカル線巡りも潮時です。

 

2.クモハ5009+モハ5010+クハ5505 (相模沼田~飯田岡:1992年4月)

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続いて5009編成です。外観は先ほどの5005編成と全く同じです。 5000系はすでに5編成導入されており、この5009編成は当時大雄山線で一番新しい車両でした。5000形は5002編成以降はステンレス車となり外観上の設計変更もほとんどありませんでしたが、この5009編成だけは、後に中間車のモハ5010がクロスシート車となりました。

 

3.クモハ5001+モハ5002+クハ5501 (相模沼田~飯田岡:1992年4月)

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 5000系のトップナンバーがやって来ました。5000系はこの5001編成だけが鋼製車でした。この車両が導入された1984年頃は、すでに駿豆線には冷房車の3000系が導入されていたので、それと同等な車両でした。塗装車なのでSUS車に比べて写真映えします。

 

4.クハ186+モハ162+モハ161 (相模沼田~飯田岡:1992年4月)

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 ようやく旧型車が戻ってきました。この日この編成が運用されていたのは、5000系が検査入場していたからかも知れません。しかし、たまたま訪れたタイミングで旧型車の走行撮影ができたことはラッキーです。

 

5.クハ186+モハ162+モハ161 (相模沼田~飯田岡:1992年4月)

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 その後も5000系の増備が進み、最終的に5000系は7編成となり、残った旧型車も1996年には全廃となりました。両運車で機関車代用で残っていたコデ66も1997年に廃車され、代ってモハ165がコデ165となりました。

 

6.クハ186+モハ162+モハ161 (五百羅漢:1992年4月)

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 1996年に大雄山線の旧型車は引退しましたが、この日以降、大雄山線へは出向いていません。あれから29年経ちましたが、5000系はカラーバリエーションを増やして健在です。コデ165も健在の様です。しかし、気になるのは5000系が抵抗制御の直流モーター車であることです。車体はまだまだしっかりしていますが、世の中の電車はことごとくVVVF化され、この先5000系も根本的な修繕のタイミングでVVVF化されるかも知れません。もう一度、羽振りの良い時代が到来して、今度はVVVFの新車が投入となれば、話は別ですが・・・・。