ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第678話 1992年箱根登山:輸送力限界の頃

箱根登山鉄道の話題は、第407話で1988年当時の貨物電車のム1の様子をお伝えしましたが、肝心な旅客車の話題にはほとんど触れず、それっきりとなっていました。1988年当時の箱根登山鉄道は新車の1000系が2編成導入されていましたが、旧型車であるモハ1形モハ2形、モハ3形がまだまだ主力だったので、いつでも撮れると思い、正直油断していました。しかし、1991年に次期新車の2000系が導入されると、その増備車であるクモハ2003,2004に台車を譲ったモハ111,112が廃車となり、これはまずいと思い箱根を目指しました。

 

1.クモハ2002+クモハ2001 (大平台:1992年4月)

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 2000系は1989年に登場した新車です。この車両は箱根登山初の冷房車で完全な新製車でしたが、1991年に増備された第2編成はモハ111,112から台車を流用しました。モハ111,112はカルダン化されていたので、こんなことができたわけですが、後に東急世田谷線でもカルダン化されたデハ70形、デハ80形の台車が、新車のデハ300形に流用されたケースがあります。

 

2.クモハ1004、モハ110 (大平台:1992年4月)

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 1000系は1981年と1984年に導入された新車です。前回訪問の第407話にも写真をアップしていますが、その頃から塗装が変わりました。2000系の塗装に合わせて変更されたようです。モハ110はモハ2形に属するカルダン車です。モハ1~3形はほとんど同じ外観ですが、このモハ110以前の車両は元々木造車で、1950年台に車体更新されてモハ111以降と同様な外観の半鋼製車となりました。

 

3.モハ106+モハ104 (大平台:1992年4月)

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 モハ1形のモハ106は、もともと開業時に導入された木造車です。モハ1形は1991年から2連固定化が始まり、そのトップがモハ106+モハ104でした。モハ1形は片運2連化されましたが、カルダン化はされず、当初からのブリル製の吊掛台車を履いていました。

 

4.モハ101+モハ102 (大平台~出山信号所:1992年4月)

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 モハ1形のモハ101は、この時点ではまだ2連固定化されておらず、オリジナルの両運車でしたが、この年の10月に片運2連化されました。

 

5.クモハ1002+クモハ1001 (上大平台信号所~仙人台信号所:1992年4月)

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 1000系の第1編成が下ってきました。この時点、1000系はまだ非冷房でした。2000系は車端部に床置きタイプの冷房装置を搭載して登場しましたが、1000系の冷房化は、3連化される2004年までおあずけです。

 

6.モハ106+モハ104 (上大平台信号所~大平台:1992年4月)

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 さて、新車の話しはどうでも良いのですが、今後新車が導入されると旧型車はどうなるのか心配でした。2000系第2編成導入時はモハ2形からカルダン台車を流用した経緯から、今後も同様にモハ3形の廃車が想定され、逆に吊掛車のモハ1形はしばらく安泰ではないかと思われました。

 

7.モハ106+モハ104 (上大平台信号所~仙人台信号所:1992年4月)

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 80‰の勾配を行くモハ106は、車体こそ更新されていますが、台車や機器類は製造時のモノを使用しており、すなわち大正時代の生き残りです。非常に過酷な路線ですが、この車両はいつまで生き延びるのか?