ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第682話 1993年野上:夏の朝、淡々と走る(その2)

野上電鉄の朝ラッシュは全て2連で運行されていました。このため、単行専用のデ10形は1両も登場せず、全て元阪神の古典車両でした。

 

1.モハ26+モハ24 (動木~紀伊野上:1993年8月)

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 ラッシュの後半は撮影場所を動木(とどろき)へ移動しました。ここは野上谷の渓谷地帯で最も地形が険しい場所です。線路は貴志川にへばり付くように敷かれ、平地はほとんどありませんが、動木付近には若干の農地が点在しました。

 

2.モハ27+モハ32 (動木~紀伊野上:1993年8月)

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この写真は、動木駅のホームから撮ったものです。動木駅の日方寄りには貴志川に注ぐ支流の鉄橋がありました。この写真の左側は貴志川の渓谷です。 

 

3.デ11 (動木~紀伊野上:1993年8月)

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 ラッシュも終わったのでしょうか、単行のデ11の登場です。炎天下の線路脇では草刈りが始まりました。この草刈りも恐らくこの年限りです。廃止が決まっても最終日までは保線作業は続きます。

 

4.モハ26+モハ24 (動木~紀伊野上:1993年8月)

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 ここは動木~紀伊野上間の貴志川渓谷です。この日最後の2連が日方に戻って行きました。写真の軌道脇に写る白い棒状の物は、コンクリート製の架線柱です。この数年前に架線柱のコンクリート化のため補助金で購入されたものですが、路線存廃が取りざたされて交換工事が凍結となり、廃止決定によりそのまま放置されていました。結果的にこれも「自爆の設備投資」となってしまいました。

 

5.デ11 (動木~紀伊野上:1993年8月)

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 しかし、架線柱がコンクリート化されなかったので、風光明媚な景色に瑕を付けることなく、撮影には好都合でした。

 

6.デ13 (動木~紀伊野上:1993年8月)

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 この写真は、貴志川の河原から撮影したものです。谷底から見上げると、電車はかなり高いところを走っています。しかしながら、この景色を見るたびに思うのですが、よくぞこんな場所に鉄道を敷いたものです。しかも、この渓谷の先には何もありません。にもかかわらず、この時代まで鉄道が残っていたとは、やはり補助金のお陰だったのでしょうか。