今では、加越能鉄道と言うよりも万葉線と言った方がわかり易いかも知れませんが、まだ有名じゃなかった頃の加越能鉄道高岡軌道線の様子をお伝えします。
1.デ7074 (高岡駅前:1992年8月)
この頃、高岡軌道線を撮影目的で訪れた人はどのくらいいたのでしょうか?少なくとも私は撮影目的ではなく、北陸地方ローカル私鉄早回りの最中に、天気が悪かったので時間つぶしで訪れたと言うのが本音でした。
2.デ7074 (高岡駅前:1992年8月)
しかし未だに不可解なのは、なぜ高岡に路面電車が開業したのか?それほど需要があるようには見えません。ただ生い立ちを遡ると、この路線は富山地鉄として開業しており、その後、加越能鉄道として非電化路線だった加越線と合わせ分離されました。そして分離後は富山地鉄の射水線が延伸されてつながり、高岡から富山まで直通?列車も走っていたとのことです。道理で高岡軌道線の車両は富山地鉄のデ7000形とそっくりな、つまらない顔をしています。ところが、掘り込み式の富山新港が建設されると、射水線は分断されてしまい、富山地鉄は高岡側に残った区間を加越能鉄道に譲渡し、1980年には射水線自体が廃止となったので、その後は富山地鉄のと関係はなくなってしまいました。
3.デ7061 (米島口:1992年8月)
さて、富山地鉄から独立した高岡軌道線ですが、車両は面白くないものの、路線は結構興味深いものがあります。基本的に路面電車ですが、専用軌道(地方鉄道)区間があり、庄川の鉄橋は地方私鉄らしからぬ立派な構造物です。そして、併用軌道区間は複線と単線が混ざり、貨物線との平面交差もありました。
4.デ7073 (米島口:1992年8月)
この日は、初めて高岡軌道線に乗りました。時間はたっぷりありましたが、お金がなかったので、全線乗車はあきらめて、車庫のある米島口へ向かいました。
5.デ7051、デ7062 (米島口:1992年8月)
米島口には主力車両のデ7000形(注1)と言うか、これしか在籍していないので何の楽しみもありません。ただし、細かいことを言うとこの車両は3形式に分類されます。
6.デ7051、デ7062 (米島口:1992年8月)
(注1)デ7000形の車歴
①加越能デ7000形7051~7053:1961年日本車輌製
②加越能デ7060形7061,7062:1965年日本車輌製
③加越能デ7070形7071~7076:1967年日本車輌製
これらの車両は富山地鉄市内線のデ7000形がベースとなっています。特にデ7000形とデ7060形は側窓の割り付けがおかしく、側窓の間に細長い固定窓が配置されていますが、これは富山地鉄デ7000形の中扉脇の小窓と同じものと思われ、単に富山地鉄デ7000形のドアを両端に移動しただけの様です。だから加越能も形式をデ7000形としたのか?ちなみに車両番号が重複しない様に、加越能は7050番台です。噂では、初期の車両は富山地鉄の注文流れとか・・・。
それが、デ7070形からは側窓の割り付けが是正されて小窓がなくなり、ようやく加越能オリジナルと言えるようになりました。しかし、それでも顔は変わらず。