ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第689話 1993-94年広島:広電の大阪市電(その3)

広電に移籍した元大阪市電は、750形の他に元大阪市電2601形だった900形も14両が1969年に広島にやって来ました。900形も750形同様に主力車となり、一時期広電市内線は元大阪市電だらけになっていました

 

1.910 (別院前~横川一丁目:1993年12月)

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 大阪市電2601形は、以前にもお伝えした通り、車体は一見大阪市電の高性能車3001形と同じスタイルですが、臓物は中古車からの流用である、新車モドキで、1955年~1961年にかけて114両も製造された電車でした。そのうち、大阪時代にワンマン化された14両が全て広島に移籍しました。この車両が移籍した当時には、高性能車の3001形も廃車となっていましたが、意外にも3001形の転職先はなく、鹿児島市交通局に4両移籍して連接車の700形になったのみで、あとは保存目的で引き取られた程度でした。広電が3001形を引き取らなかった理由は、恐らくメンテナンスの都合、吊掛車を優先したものと思われます。

 

2.914 (寺町~別院前:1993年12月)

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  1993年時点、900形は902が1977年に車庫火災で廃車となった以外は、休車を含めて13両が健在でした。外観は大阪時代と変わらず、塗装もそのままでしたが、冷房化が進捗していました。

 

3.904 (女学院前~縮景園前:1993年12月)

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さて、900形は広電にとってワンマンカーの先駆けとなりました。導入当初は写真の白島線でワンマン化を推進して、やがて市内線全線のワンマン化に貢献しました。

この白島線ですが、市内線では唯一の独立路線で僅か1.2kmの道程を電車が坦々と往復する路線です。とても採算が取れているとは思えません。南北に延伸の可能性はないものか?ちなみに終点の白島電停は、新交通アストラムライン白島駅とはかなり離れていると言うか、全く別の場所なので要注意です。

 

4.911 (宇品:1994年2月)

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基本的に900形は市内線のどこにも出没しましたが、 形式写真はいつもの宇品電停で撮影です。

 

5.910 (江波:1994年7月)

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 そして、900形を落ち着いて撮影するなら、江波車庫です。江波車庫には8系統(江波~横川)用の900形が配属されており、ここならいつでも900形がいました。

 

6.910 (江波:1994年7月)

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 900形は車体が比較的新しい全金属製なので、その後も健在でしたが、見てくれは若くとも臓物は中古品だったので、市内線へのLRV投入により廃車が進み、現在は913がたったの1両のみ在籍となりました。

 

7.910 (江波:1994年7月)

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 以上が、1993年~1994年頃の広電における元大阪市電750形、900形の状況です。一時は広電市内線を大阪市電で埋め尽くした本形式車両達も風前の灯です。しかし、750形などは、現存すること事体が奇跡的です。広電さんには感謝です。末永く残して頂きたいと思います。