ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第697話 1993年日立:電車の整理整頓!!(その4)

そろそろ撮影場所を移動しようと思っていたら、今度は常北太田行が2連でやって来ました。つい先ほど、鮎川行も2連でしたが、どういことなのか?

 

1.モハ16+モハ9 (川中子~大橋:1993年3月)

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実は後ろのモハ9の入庫回送を兼ねた2連でした。先程クハ109+モハ110が運用に入ったので、代わりにモハ9が入庫するようです。 しかし、この2連は珍しい両運車同士の連結です。日中にこんな2連が撮れるとは、これもラッキーでした。

 

2.3201 (久慈浜:1993年3月)

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 川中子から電車に乗って久慈浜に向かいました。そして、久慈浜に着いた時に両運車の3021に遭遇しました。この車両は当然ですが両妻とも同じ顔をしていました。この改造は片運車の連妻側に他車の運転室を前妻構体ごと切り継いだもので、中古車のブローカーでもある京王重機による作品でした。これがもし、日立電鉄のお手製改造だったら面白い車両になっていたと思いますが、もうそういう時代ではありませんでした。

 

3.久慈浜車庫構内 (久慈浜:1993年3月)

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 久慈浜の検修庫もいつの間にか小綺麗になっていました。ちょうど2212+2001が列車検査で入場していましたが、保線用?のモーターカーが入換機として使用されていました。

 

4.移動機 (久慈浜:1993年3月)

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 そうなると、この移動機は失業?  この移動機は、国鉄形式で言うところのC6形貨車移動機です。1955年頃の酒井工作所製とのことですが、素性がよくわかりません。機械式の5t機で華奢なロッドがいかにも移動機でした。

 

5.モハ1006+モハ1003 (久慈浜:1993年3月)

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 そして、久慈浜の構内には運用を離脱した1000形が2両留置されていました。この2両はいずれも幌付きで、編成運転対応車でしたが、モハ1006は1000形の中では異端の両面貫通車で、スタイルも側窓が小さく1000形らしからぬ車両でした。特に編成を限定しないテンポラリーな運用車でした。

 

6.モハ1003 (久慈浜:1993年3月)

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 モハ1003とモハ1006は、2007+2216が竣工すると、その振替でこの翌月である4月30日に廃車となり、これで元小田急モハ1形を前身とするモハ1000形は消滅しました。