夕方になって、曇ってしまいましたが、この日の最後は鮎川に向かいました。 鮎川には日中走らないラッシュ用の車両が留置されています。しかし、2000形+2200形の導入で雑多な2連が淘汰されてしまい、廃車された車両が残っているのか、撮影に期待は持てませんでした。
1.モハ16 (鮎川:1993年3月)
鮎川に到着し、とりあえず乗って来たモハ16の撮影です。こちらは、常北太田寄りの貫通面です。
2.モハ16 (鮎川:1993年3月)
この写真は、モハ16の鮎川寄りの非貫通面です。
3.モハ13+モハ12 (鮎川:1993年3月)
鮎川には、モハ13+モハ12の2連が留置されていましたが、これは2連運用ではなく単に連結されていただけです。
4.モハ12+モハ13 (鮎川:1993年3月)
モハ12はモハ11と兄弟車両で、あの横取りされた営団車両の1両です。この車両は、貫通扉の窓がモハ11に比べて少し低い位置に配置されており、モハ11ほどブサイクではありません。モハ12はこの年の11月に廃車となりました。導入時には、なにかと揉めた車両でしたが、最後はひっそりといなくなりました。
5.モハ110+クハ109、モハ352+モハ351 (鮎川:1993年3月)
元静岡の2連コンビも留置されていましたが、モハ110+クハ109は先ほど運用されていたのに片道しか走らず入庫していました。その片道で撮影できたので良かったです。
このモハ110は翌月の4月に廃車となり、相棒のクハ109は7月に廃車されました。なぜかモハの方が先に廃車となったのが不思議です。ちなみにモハ352+モハ351は共に翌年の4月に廃車されました。
6.2214+2003、2002+2211 (鮎川:1993年3月)
この時点で、2000形(Mc)が6両(注1)、2200形(Tc)が5両(注2)、3000形(cMc)が1両(注3)在籍しており、3連1編成、2連4編成、単行1両の内分けでした。種車の都合なのか、2000形には単車で自走できるタイプと自走出来ないタイプが存在し、また、Mc車とTc車の向きが一律ではありませんでした。
(注1)2000形(Mc)の車歴
・日立2001←営団2067:1961年帝国車輌製
・日立2002←営団2080:1962年帝国車輌製
・日立2003←営団2069:1961年帝国車輌製
(注1)2200形(Tc)の車歴
・日立2211←営団2079:1962年帝国車輌製
・日立2212←営団2050:1960年帝国車輌製
・日立2214←営団2068:1961年帝国車輌製
(注3)3000形の(cMc)車歴
・日立3021←営団2086(前妻:営団2085):1961年日立製作所製
<1993年3月時点の2000形、2200形の編成内訳>
←鮎川2001+2212、2003+2214常北太田→
2211+2002、2213+2004
2005+2215+2006
日立電鉄では、その後も元営団2000系の導入が続き、最終的に2000形が10両、2200形が7両、3000形が6両となり、旧型車を一掃し、1997年にようやく念願であった「電車の整理整頓」が達成されました。