ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第698話 1993年日立:電車の整理整頓!!(その5)

夕方になって、曇ってしまいましたが、この日の最後は鮎川に向かいました。 鮎川には日中走らないラッシュ用の車両が留置されています。しかし、2000形+2200形の導入で雑多な2連が淘汰されてしまい、廃車された車両が残っているのか、撮影に期待は持てませんでした。

 

1.モハ16 (鮎川:1993年3月)

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 鮎川に到着し、とりあえず乗って来たモハ16の撮影です。こちらは、常北太田寄りの貫通面です。

 

2.モハ16 (鮎川:1993年3月)

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 この写真は、モハ16の鮎川寄りの非貫通面です。

 

3.モハ13+モハ12 (鮎川:1993年3月)

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 鮎川には、モハ13+モハ12の2連が留置されていましたが、これは2連運用ではなく単に連結されていただけです。

 

4.モハ12+モハ13 (鮎川:1993年3月)

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 モハ12はモハ11と兄弟車両で、あの横取りされた営団車両の1両です。この車両は、貫通扉の窓がモハ11に比べて少し低い位置に配置されており、モハ11ほどブサイクではありません。モハ12はこの年の11月に廃車となりました。導入時には、なにかと揉めた車両でしたが、最後はひっそりといなくなりました。

 

5.モハ110+クハ109、モハ352+モハ351 (鮎川:1993年3月)

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 元静岡の2連コンビも留置されていましたが、モハ110+クハ109は先ほど運用されていたのに片道しか走らず入庫していました。その片道で撮影できたので良かったです。

このモハ110は翌月の4月に廃車となり、相棒のクハ109は7月に廃車されました。なぜかモハの方が先に廃車となったのが不思議です。ちなみにモハ352+モハ351は共に翌年の4月に廃車されました。

 

6.2214+2003、2002+2211 (鮎川:1993年3月)

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 この時点で、2000形(Mc)が6両(注1)、2200形(Tc)が5両(注2)、3000形(cMc)が1両(注3)在籍しており、3連1編成、2連4編成、単行1両の内分けでした。種車の都合なのか、2000形には単車で自走できるタイプと自走出来ないタイプが存在し、また、Mc車とTc車の向きが一律ではありませんでした。

(注1)2000形(Mc)の車歴

・日立2001←営団2067:1961年帝国車輌製

・日立2002←営団2080:1962年帝国車輌製

・日立2003←営団2069:1961年帝国車輌製

・日立2004←営団2066:1961年川崎車輌

・日立2005←営団2087:1962年富士重工

・日立2006←営団2118:1962年近畿車輌

(注1)2200形(Tc)の車歴

・日立2211←営団2079:1962年帝国車輌製

・日立2212←営団2050:1960年帝国車輌製

・日立2213←営団2081:1961年日立製作所

・日立2214←営団2068:1961年帝国車輌製

・日立2215←営団2117:1962年近畿車輌

(注3)3000形の(cMc)車歴

・日立3021←営団2086(前妻:営団2085):1961年日立製作所

<1993年3月時点の2000形、2200形の編成内訳>

←鮎川2001+2212、2003+2214常北太田→

   2211+2002、2213+2004

   2005+2215+2006  

日立電鉄では、その後も元営団2000系の導入が続き、最終的に2000形が10両、2200形が7両、3000形が6両となり、旧型車を一掃し、1997年にようやく念願であった「電車の整理整頓」が達成されました。