1992年は3度も立山砂防を訪れました。まったく自分でも呆れるほどの無茶ぶりでしたが、回数を重ねるたびにエスカレートしてしまい、3度目は18段スイッチバックを制してしまいました。今回は、その3度目の様子をお伝えします。
なお、繰り返しになりますが、現在立山砂防軌道は、軌道内及び沿線への立入りが禁止されています。
1.一番列車 (樺平付近:1992年11月)
この日も天気予報を確認して、始発の富山地鉄が走る前に運行されていた大阪から立山に直通するJR夜行急行「リーゾート立山号」に、JR富山駅から乗り、早朝の千寿ケ原からダッシュで樺平(かんぱだいら)を目指しました。この行程はすでに8月の訪問時に実証できていたので勝手知ったる短絡ルート(実際は獣道)を有効に使い予定より30分近く早く現地に到着しました。
2.一番列車 (樺平付近:1992年11月)
一番列車がやって来ました。列車が小さいのでどこに写っているのか分かり辛いですが、この写真を撮影した場所は、8月にも撮影を行った場所です。季節が変わると全く違った風景になります。もう11月なので紅葉も終わってしまい、冬枯れた寂しい景色になっていました。そろそろ立山砂防も冬眠前の店じまいに追われる時期でした。
3.人車列車 (樺平付近:1992年11月)
絶壁 で撮影した1番列車がしばらくすると近づいてきました。鳶山号でした。この列車はこの先にある樺平連絡所で連絡員のオバちゃんを降ろして、18段スイッチバックを登って行きます。
4.単機回送 (樺平橋:1992年11月)
続く列車は、しばらく間をあけてグリーンカルデラ号が単機でやって来ました。
5.巡回列車 (樺平連絡所:1992年11月)
ここは樺平連絡所のデルタ線です。3番目の列車である平成号がデルタ線で休んでいました。この列車は軌道を点検するための巡回列車でした。この日の撮影にたびたび登場します。
6.巡回列車 (樺平18段スイッチバック:1992年11月)
そして、いよいよ18段スイッチバックへ踏み込みます。スイッチバックを登り初めてしばらくすると、巡回列車の平成号がバック運転でスイッチバックを登って来ました。
7.巡回列車 (樺平18段スイッチバック:1992年11月)
徐々に平成号が近づいてきました。よく見るとオジサンが箱乗りしています。この日はこの平成号に付かず離れず撮影が続きました。