ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第708話 1992年立山砂防:圧巻の18段スイッチバック(その6)

午後の定期列車はグリーンカルデラ号の牽引でした。もう今年も立山砂防は運行終了間近なのか、この後は続行がありませんでした。

 

1.午後の資材列車 (七郎スイッチバック:1992年11月)

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 まだ午後2時頃ですが、山の日没は早く、 陽も陰ってきました。戻りの列車まで陽がもつか微妙です。

 

2.午後の資材列車 (七郎スイッチバック:1992年11月)

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天空から降り注ぐ滝が絶景です。もう1週間早ければ、紅葉のベストシーズンだった様ですが、なかなかタイミングが難しいです。

 

3.鬼ヶ城トンネル七郎側 (七郎~鬼ヶ城:1992年11月)

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ここは鬼が城トンネルの上流側の開口です。現在はこの付近に鬼が城連絡所がありますが、当時の鬼が城連絡所はこのトンネルの下流側を出たところにありました。写真の前方には険しい大崩壊地帯が見えます。鬼が城トンネルはこの大崩壊地帯を抜ける全長500m程もある長大トンネルです。ところで、このトンネルも崩壊の危機にさらされており、その後トンネルの下流側をルート変更するためトンネルの途中から新しい路線が建設されましたが、その新規部分に岩盤の崩落が発生して、新線が使用できず、いまだに在来線を使用しているそうです。非常に危険な一帯です。

 

4.巡回列車 (妙寿スイッチバック:1992年11月)

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 鬼が城トンネルを抜けて、妙寿スイッチバックで巡回列車に追いつきました。トロに乗っていたオジサンは、お尻が痛くなったのか、今度は機関車に箱乗りです。

 

5.巡回列車 (妙寿スイッチバック:1992年11月)

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 妙寿スイッチバックは4段ですが、かなり急斜面に設置されています。この場所以外にスペースがなかったのでしょうが、落石注意の標識が・・・要は危険な場所と言うことです。

 

6.人車列車 (桑谷~妙寿:1992年11月)

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 桑谷近くで、千寿ケ原行きの人車列車が下りてきました。まだ午後4時頃ですが、すでに陽は山に隠れてしまい、谷間を走る列車は前照灯を点灯していました。

 

7.人車列車 (桑谷~妙寿:1992年11月)

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 この日は、この人車列車が最終の様でした。この撮影で撤収です。もうまもなく立山砂防は冬眠に入ります。

いずれ紅葉のベストシーズンに再トライです。まだまだチャレンジは続きます。