ローカル線の回顧録

1970年代後半から2000年頃までのローカル線の記録

第715話 1993年水島臨海:偉い人の苦言

「偉い人の苦言」は、それなりに影響力がありますが、時として炎上することも。

例えば4年程前の福井では、大雪で運行できなかったLRVを「クソみたいな電車」とののしった県議さんがいました。

この話はネットでも話題になりましたが、私は「ひどいことを言う人が居るものだ」と思いました。LRVは一般車両と違い車両限界が車両の下部まで広く、しかも福井のLRVは車体下部幅がワイドな2600㎜なので、通常の除雪では走行できなかったと言うことです。決して「クソ電車」ではなかったわけで、この県議さんは翌日には発言を謝罪されたとか。しかしこの一言で傷ついたのはLRVだけではありません。LRVを保守し運行される方皆さんが傷ついたことは、はかり知れません。

そんなこともありましたが、私の記憶にはもう一つ、印象的な「偉い人の苦言」があります。それは、福井の一件とは全く違う話ですが、バブル期も終わろうとしていた頃の水島臨海鉄道での出来事です。

当時の水島臨海鉄道は、バブル景気の追い風で山陽路のローカル私鉄としては目まぐるしい発展を遂げていましたが、旅客車はすべて元国鉄のお古でした。これを視察された県議さんが、車両がボロいと苦言を呈されたとか?私はこの話を聞いた時、ひどいことを言う人とは思わず、不思議と、その通りだと思いました。ところで、その「ボロ発言」の後の水島臨海鉄道のリアクションが凄かった!!。第三セクターである水島臨海鉄道にとって、県議さんはスポンサー的立場です。ボロいと思われるなら予算を頂戴と言ったのかどうかはわかりませんが、その後、新車がどんどん投入されました。結果として「偉い人の苦言」は、皆さんが期待していた発言だったのかも知れません。苦言が功を奏したわけですが、こう言う前向きな苦言はその後聞きません。

 

1.キハ202、キハ207 (水島機関区:1993年12月)

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 さて、今回はまさに県議さんが苦言を呈した頃の水島臨海鉄道の様子です。写真を見て頂くと、どこを見ても元国鉄キハ20形ばかりです。この頃12両ものキハ20形が水島臨海キハ20形として在籍していました。

 

2.キハ202、キハ207、キハ203他 (水島機関区:1993年12月)

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 キハ20形は昭和30年代の気動車です。白く塗りたくって年齢をごまかしていたつもりでしょうが、年増の厚化粧は県議さんに見抜かれてしまいました。

 

3.DD501、キハ202 (水島機関区:1993年12月)

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 しかしながら、昔の水島臨海を知る方にとっては、これは本当のボロではありません。かつて、倉敷市交通局時代の車両を知っていれば、キハ20形は極上の車両です。いわばボロい車両はこの路線の伝統であったわけですが、その悪い伝統を打開した県議さんには頭が下がります。

 

4.キハ202 (水島機関区:1993年12月)

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ところで、この頃の水島臨海鉄道は、趣味的には最低でした。私にとっては元夕張の車両や元国鉄キハ07形がいた頃までが華でした。当然その頃の車両はもっとボロでしたが、当時はそれがスタンダードでした。それらの旧型車両が排除されて国鉄形式に統一されてからの水島臨海鉄道は、もう趣味の対象ではなくなってしまいました。 

 

5.キハ203 (水島機関区:1993年12月)

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 それでは、今回の訪問はどういう事かと言えば、機関車を見たいと言うのが本音でした。要するにキハ20形は、どーでも良かったわけですが、なんだかんだ言って、いっぱい写真を撮っていました。

 

6.キハ209 (水島機関区:1993年12月)

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 しかし、これほど真面目にキハ20を撮ったことはありません。さすがにこの頃になると、もう各地のJRにはキハ20形はほとんどいませんでしたので、記録しておこうと思ったのでしょうか。

 

7.キハ209、キハ208+キハ209 (水島機関区:1993年12月)

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 当時、水島臨海同様に元国鉄キハ20形を保有していたのは、島原鉄道茨城交通でした。この車両を見ていると、少し前の茨城交通常磐線中距離電車カラー)を思い出しますが、この頃茨城交通のキハ20形は更に羽目を外してアメリカンカラーになっていました。